2018.10.26 |暮らし    3

介護という旅の途中に 連載エッセイ【第1回】

 写真家として、世界各地を巡り活躍する飯田裕子さん。撮影の仕事をする傍ら、高齢の両親の介護が始まった。写真家としての視線や娘としての思いなどを交え、リアルタイムな介護生活を連載で綴っていただく。

勝浦の海

高齢の父母が暮らす街の海

 * * *

 老眼鏡ごしに針仕事をする母の横顔がある。皺を刻んだ指は関節が少し曲がってはいるものの針運びはスイスイと滞りがない。

 母が作っているのは「貝ぐるみ」という小物だ。ハマグリやアサリなどの二枚貝に着物や帯の布片で衣を着せる。ただの置物なのにコロンとした貝の姿と、着物の柄や色が映えて、見ているだけで心が和む。
その貝ぐるみの為に、わたしは両親の元へ行く度に貝を買って、貝のスープを作る。貝のスープは滋養があるし、何と言っても老人にとってスープは栄養を摂れる一番良い食事だ。

 母は老いてもなお「この貝ぐるみ、売れないかしら?収入にしたいの」とやる気満々である。

 食卓で手仕事をする母の後ろの扉越しに、父がベッドに横たわっているのが見える。寝室の手前には、酸素を供給する機械が1.5ccというデジタルの数値を示し、静かに稼働している。持病のリウマチの影響で間質性肺炎を発病しすでに5年が経過した。

母の横顔

貝ぐるみをつくる母

 父は最近、食事もほとんどベッドの上で摂るようになってしまった。ベッドでは本を読んだり、電子辞書をいじったり、そして眠っている時間が長くなってきた。 「本の内容をすぐに忘れるから、同じ本を何度でも読めて得だな」と言って笑う。認知症とは断定されてはいないが、物事を覚えていられなくなってきている。

新聞を読む父

ベッドで新聞を読む父

 父はそんな身になっても好物のビールを毎日欠かさない。咀嚼して食べる事もままならなくなり、息切れがするため、ほんの一口の食事でも時間をかけて食べている。 なので、ビール(といっても発泡酒だが)がカロリー摂取に大きく役立っている。ベッド脇には尿瓶が二本。私は尿瓶をトイレで洗浄しつつ「これはほとんどがビールだなあ」と確信する。

 夜になると咳き込む事もあり、別の部屋にいても、その苦しそうな声が聞こえて気になる。ふと思い立ち、タイムで作ったハーブチンキ(ハーブの焼酎漬け)に蜂蜜を溶かしてベッド脇に持っていき、勧めてみた。「あとで飲むから」と、父は手で合図するが多分飲まないかもしれない。西洋医学を戦後まもなく学んだ父にとって、漢方やハーブといった民間医療に頼るのはプライドが許さないらしい。「母がこれ効くのよ」と勧めようものなら「医者に命令する気か!」と。

老老介護の父母の日々

 父母2人とも物忘れはあるものの、まだ認知症とは言い難い。こんな老老介護の2人は、父が88歳、母も87歳を迎えた。私はひと月に1、2泊、時には3、4泊しながらその日々に加わっている。

 私の仕事がフリーのカメラマンということもあって、時間の拘束が会社員のようにはない。実は介護のために父母の元へ行くというより、ロケの時にはわたしの飼い犬を預かってもらうという理由もあるので、まだ親に頼っている部分もある。

 犬はボーダーコリーで今年9歳のメス。両親の暮らす勝浦のリゾートタウンでは庭先にフリーでいられるので、彼女、ナナには慣れた場所だ。羊飼いの血を引くナナにとっても、父と母は羊のように見守るものらしい。 やれ電話が鳴った、人が来た、と耳が遠くなった母に随時知らせ、新聞を少し離れたポストに取りに行く母を見守る介護犬になっている。ほぼ寝たきりの父もビールのつまみにチーズを食べればナナを呼び、与える。動物とのアイコンタクトは老いた父母にとってはきっと癒しになっている。

父とナナ

父とボーダーコリーのナナ

 しかし、こんな日がやってくるとは2年前には想像もしていなかった。

 父は、要介護2の認定を夏の終わりに受け、最近は24時間体制の訪問看護、訪問医療を受けられるようになり、週に1度ヘルパーさんが掃除など家事の援助をしてくれる。ケアマネジャーさんが相談の上の采配してくれた。

 今、ようやくこの体制で落ち着いているが、ここまでの道のりは、決して平坦ではなかった。

 でも、もっともっと大変な方も多くいる事も想像できる。あと2年で還暦という自分の年齢の自覚もないまま、カメラを手に旅を重ねて来た。その旅自体が仕事で、私の日常でありえたのも、父母のおかげだ。

カメラマンとして辺境の地を巡ってきた私の未体験ゾーン

 旅先は今もなお辺境と言われる場所が多かった。その取材対象は先住民や少数民族も多く、老いた人々も多く撮影して来た。

 今、私の目の前にいる針仕事をする母の横顔は、確かに、ラロトンガ島(クック諸島)のおばあさんが家族の為にキルトを刺す姿と重なる。

 この3年ですっかりと骨と皮だけになってしまった父の姿も、ニューメキシコの砂漠に佇んでいたネイティブ・アメリカンの哲学的に枯れた老人の姿に重なる。

 そんな両親の介護という時間は、私にとってある意味、未体験ゾーンの旅と言ってもいいかもしれない。

ラロトンガ島の老女

ラロトンガ島で出会ったおばあさん

自然あふれる地、勝浦に越してきて

「親子だから安心できる。自分の家で死ねたら」と言った理想論だけではない。 現実には、時に明るいばかりではない気持ちの揺らぎが私にはある。でも、きっと数々の旅で自然と身についた「現場力」は介護の時にも発揮できている。そんな気もする日々だ。

「船橋から勝浦へ、思い切って引っ越して来て本当によかった。人生の中で今こんなにいい時はない」と神田生まれの母が言う。「もっと早く来てれば良かった」と父も独り言ちる。

 今2人が暮らす勝浦の家はゴルフ好きだった父が別荘として、40年前に借金をして土地を買い、家を建てたものだった。毎週末には父と、時々母も一緒に船橋の家から通った。

 太陽も月も東から昇り、西に沈む。世界共通の当たり前の事だ。でも、都心生まれ、新興住宅地で暮らしてきた私たち家族にとって、日々の営みの中に自然を意識する習慣はほぼなかった。目覚まし時計で起き、学校や仕事先の時間に合わせて1日の行動をする。そして、夕日を確認した事もあったかもしれないが、帰宅し、宿題や夕食、テレビの番組を見たりしながら時間を過ごし、就寝する。母は食事の支度、洗濯、買い物に終われて1日を終えていた。その繰り返しだった。

 でも、自然が人工的なものより多い場所では、天体の動きも生き生きと見えるから不思議だ。地球の主人公は、素地はいく億年も変わらない普遍な自然であることを思い知らされる。そしてその恵みの大きさに感謝する。母は勝浦にいるとテレビをつけなくなった。

「鳥の声が良くて…。昨夜の満月が海を照らして綺麗だった事」などなど、話題がワイドショーネタから自然の賛美に変わった。

(つづく)

 

写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。老老介護生活を送る両親のバックアップも始まった。

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  1. まちゃこ より:

    家族として人生の終焉に何ができるのかあらためて考えさせられました。一番よい時間を過ごすことができたらみんなにとってハッピーだと思います。私のこれからに参考になりました。

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  2. のぶちゃん より:

    勝浦の自然や、キルトを作るおばあちゃん、美しい写真と共に心癒されるエッセイでした。
    お父様の医師としてのプライド、お母様の得意な手芸、介護犬になっているナナ、光景が目に浮かび、微笑んでしまいました。

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  3. 長野もも子 より:

    こういう言い方はおかしいのかもしれませんが、美しい文章に心が癒されました。お父様、お母様もこんな娘さんがいてくれて幸せですね✨

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