2019.06.29 |暮らし   

私の認知症体験記|つちやかおり、岩佐まり…「認知症と幸せに過ごす」日々

 人生100年時代に、誰もが無関係ではいられない認知症。どこか暗いイメージがつきまとうかもしれない。

「認知症」に直面した芸能人、著名人家族にインタビュー。今から知っておきたい老いの迎え方…。「認知症と幸せに過ごす」その証言には、人生100年時代を生き抜くヒントが詰まっている。

 * * *

岩佐まり 55才で若年性認知症を発症した母との暮らし

 認知症になるのは、高齢の親だけではない。

 故郷の大阪を離れ、ひとり暮らしをしながら東京でタレント活動をしていた岩佐まりが母親の異変に気づいた時、母はまだ55才だったという。

「同じ話を繰り返すようになり、私がモーニングコールを頼んでいても、頼まれたこと自体を忘れていました」(岩佐・以下同)

 その後、渋る母親を受診させると、若年性アルツハイマー型認知症と診断された。思わぬ病名に母と娘は手を取り合って涙したという。

岩佐まりと母

オフィシャルブログ「若年性アルツハイマーの母と生きる」では、日常生活を報告している(写真提供/岩佐まり)

「それから父が実家で母の介護を始めました。私は当時、バラエティー番組に出ていましたが、収録の合間にはスタジオの隅で泣きながら父と電話をしていました」

 ’12年夏、久しぶりに帰郷した岩佐は衝撃の光景を目にする。食事がうまく食べられず、ガリガリにやせた母の姿だ。入浴することも困難になっており、体から異臭が漂っていたという。

「介護していた父も体調を崩していて、もう限界でした。私は母を東京に呼んで同居し、介護することを決意しました。ケアマネジャーからは、『あなたにはこの先、結婚や子育てもある。絶対無理だ』と言われましたが、やるしかないと思いました」

 この頃、ケーブルテレビ局に勤務していた岩佐は、月~金は母をデイケアに預けて働いた。 今でも、仕事から疲れて帰宅し、2人分の食事の準備をしても、「おいしくない」とおかずを投げられると心が滅入るという。互いにイライラが募って、けんかすることもしょっちゅうだ。

息抜きの時間を作ること

 岩佐は、「そういう時は必ず息抜きします」と強調する。

「介護中にイライラが募ったら、デイケアやショートステイを増やし、自分の時間を作って友達に会います。そうやって息抜きできる時間を作れると、また頑張ろうという気持ちになれるんです」

 現在、岩佐はフリーアナウンサーとして活動しながらブログで母の闘病生活を公開し、同じ境遇に悩む人からの電話相談も受け付けている。

「普通の人より早く介護を体験して実感したのは、人のやさしさです。現在は車いすになった母と出かけると、知らないかたがお店のドアを開けてくれたり、席を譲ってくださったりするんです。救いの手を差し伸べてくれる人がたくさんいて、思いやりのある社会にうれしくなります。認知症は誰でもなり得るものです。私は自分の経験を多くの人に伝えて、認知症になったら終わりではなくて、認知症になっても楽しく生きられる社会にしていきたい」

 今、岩佐には社会福祉士になるという夢がある。認知症の母と、新たな人生を切り拓こうとしている。

認知症が進行しても家族の名前、顔は忘れなかった谷啓さん

「ガチョーン」などのギャグで一世を風靡した谷啓さん(享年78)は’10年9月に自宅の階段から足を踏み外して滑り落ち、頭部を強打して死亡した。

谷啓さん

「クレージーキャッツ」ではトロンボーンを担当した谷さん(写真/共同通信社)

 実はこの時、谷さんはすでに認知症を患っていた。
「亡くなる2年ほど前から認知症の症状が出て、レギュラー番組を降板して療養生活に入っていました。意味不明なことを口走ったり、近所を徘徊することもあったそうです」(谷さんの知人)

 そんな谷さんをサポートしたのは、妻の和子さんを中心とする家族だった。

「近所にたばこを買いに行って家に戻れなくなるまで認知症が進行しても、谷さんは家族の名前と顔だけは決して忘れませんでした。死ぬ直前はトロンボーンを演奏することも少なく、防音設備のある居間で家族に見守られながら、大好きな映画をよく見ていたそうです」(前出・谷さんの知人)

 谷さんの死後、和子さんは『週刊現代』(’10年10月2日号)でこう話した。 ≪主人の吹くトロンボーンは誰よりもやさしい音がしました。私はそれが大好きでした≫

つちやかおり「何もかも忘れても、母が楽しく幸せならそれでいい」

 認知症の介護は決して簡単なものではない。しかし、経験者の多くは「楽しむことだ」と口をそろえる。

「母の様子がおかしいと気づいたのは10年ほど前です。長男(布川隼汰)の舞台に呼んだ時、珍しく待ち合わせに遅れた上、知っているはずの知り合いの顔を忘れていた。今考えれば、『あれ?』と思うことはあるのですが、その時は気がつきませんでした」

 こう振り返るのは、女優のつちやかおり(54才)。

つちやかおり

「歌が好きな母は私のデビュー曲も歌うんですよ」と笑顔で語るつちやかおり(撮影/石井祐輔)

 異変を感じたその当時、母はつちやの父と兄と同居していた。認知症の疑いが出た際、身近な人ほど「そんなはずはない」と認めようとしない傾向にある。つちやの父と兄も「大丈夫」と見て見ぬふりをする日々が続き、いよいよ母を病院に連れて行った頃には、ひとりで外出できないほど病状が悪化していたという。

「その後、父の容体も悪化して、独身の兄がひとりで両親の面倒をみていたのですが、父が他界すると、母の認知症はどんどん進行して、兄に向かって『泥棒!』と声を荒げるようになっていました」(つちや・以下同)

 自宅介護の限界を悟ったつちやは、母を施設に入れることを提案し、渋る兄を説得して入居を決めた。やがて、母親はつちやの顔もわからなくなっていった。

「表向きは何ともないふりをしていましたが、私を忘れていく母を見るのは切なくて、つらかった。なんとか自分のことを思い出してもらえないだろうかと思っていました」

 もう一度、「お母さん」「かおり」と呼び合いたいと望んだが、残念ながらかなわなかった。

「ここ1年くらいで、やっと、母が笑顔でいてくれるならいいと思えるようになりました。私が母を見てつらいと感じるのは、私だけの気持ちであって、母自身は今の状況を苦しいとは思っていない。無理に思い出そうとさせられることの方が苦痛なはず。だから、何もかも忘れても、母が楽しく幸せだったらそれだけで…と思えるようになりました」

 現在、月に1度施設を訪れる彼女が心がけるのは、「母が笑顔でいられる」ことだ。

「母は歌うことが大好きで、私が歌い出すと、一緒に歌うんです。ほかのことは何を言ってもわからないのに。私がドラマデビューした『3年B組金八先生』のテーマ曲『贈る言葉』が好きで、よく歌います。歌ってすごいですね」

 病室からは、今日も母娘の歌声が聞こえてくるだろう。

※女性セブン2019年6月20日号

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