2017.11.17 |暮らし   

美術は裏話を知ってると楽しい『受胎告知』5つの鍵

『西洋絵画の巨匠』シリーズ「エル・グレコ」表紙

 上智大学で興味深い講座が開かれている。それが「スペインの聖母像-美術と信仰」と題した全4回の講座。モンセラートの『黒い聖母の神秘』、エル・グレコの『受胎告知』、セマナ・サンタ(聖週間)の『悲しみの聖母』、ムリーリョの『無原罪のお宿りの聖母』と、各回ひとつの作品に焦点を絞って取り上げ、スペインの聖母像について学ぶ。その第2回「エル・グレコの『受胎告知』」を受講した。

至るところで聖母像を見かけるスペイン

 カトリック国スペインにはマリアへの崇敬が日常に深く根づいている。記者はスペインに1年間留学していたことがあるが、驚いたのは聖母像の多さだ。街のあちこちに聖母像の絵が飾られ、トラックの運転台にもキラキラと装飾された聖母像が置いてある。その聖母崇敬の浸透ぶりに、改めてスペイン人のカトリック信仰の深さを実感したものだった。

 本講座のコーディネーター及び講師を務める松原典子外国語学部イスパニア学科教授は、「こうした聖母像は礼拝の対象であると同時に、美術的にも優れた価値を持つものが多いのです。講座ではその中から4点の作品を取り上げて、美術的な観点からじっくりと読み解いていきます」と語る。

 取材した日は、エンカルナシオン学院(アラゴン学院)の聖堂主祭壇衝立の一部として描かれ、現在はマドリッドのプラド美術館に所蔵されているエル・グレコ(1541-1614年)の『受胎告知』が取り上げられた。

ドメニコス・テオトコプロスという名のギリシャ人

 ドメニコス・テオトコプロスという名をご存じだろうか。それがエル・グレコの本名である。松原先生によれば、エル・グレコとは、“エル”はスペイン語の男性定冠詞、“グレコ”はイタリア語で“ギリシャ人”の意で、要するに“ギリシャ人”という意味のニックネームだったという。グレコはギリシャ南部の島、クレタ島で生まれ、20代半ばまでクレタ島で暮らした。その後ベネチアへ渡り、ローマへ。6年ほど滞在した後、スペインへ移住した。

「当時スペインは新世界の発見やレコンキスタ(国土回復運動)の勝利によって国力を増しており、ローマからたくさんの画家や彫刻家がスペインに呼ばれました。グレコのローマでの活動は不明なことが多く、鳴かず飛ばずだったようですが、心中、スペイン宮廷での活躍を期していたのでしょう」

東西の美術が融合した、独自の画風

 グレコの絵は独特だ。画面の生々しい光からは深く黒い影が落ち、人体はほっそりとしていて、まるで少女マンガのようだ。こうしたグレコの作風は、その経歴から生まれたという。

 彼が生まれたクレタ島は、ベネチアに支配されていた。クレタ島はもともとビザンチン美術の影響が強く残っている場所だ。

 ビザンチン美術は東ローマ帝国の文化で、東ヨーロッパやトルコなどにその遺構が残る。ビザンチン美術は真正面から人物を描き、無表情でマジマジと見つめられているかのような描写が印象的だ。一方で西ヨーロッパの宗教画は表情豊かだ。

 グレコは、そのビザンチン美術の影響と、ベネチアから来る西ヨーロッパ文化の影響を受けて育ち、そして当時のヨーロッパ美術の中心地であるローマで腕を磨いた。作品にはそれぞれの文化の影響が見て取れるという。

〈受胎告知〉モチーフの鑑賞ポイント5つ

 聖母マリアが、大天使ガブリエルによりキリストを受胎したことを告げられる場面を描いたのが〈受胎告知〉だ。多くの画家によって描かれるモチーフだが、いくつかの様式があるという。

「〈受胎告知〉は、祭壇画の扉の裏側や大聖堂の入り口などに描かれることが多いのですが、それはここから神の世界が開け、アダムとイブの原罪から救われるという印なのです」

〈受胎告知〉というモチーフの鑑賞ポイントも紹介された。今後、〈受胎告知〉を見る際には、以下の点に注目するとより深く楽しめるだろう。

(1)絵の構成
 天上から光を伴い降りてくる精霊のハト。メインは大天使ガブリエルとマリアだが、天使は向かって左側に、マリアは右側に描かれることが多い。これはキリスト教が「右側にあるものが格が高い」としていることに由来する。しかしグレコの『受胎告知』は、マリアが左に描かれているところが特徴的。マリアは書物を読んでいるところに告知を受けたとされ、開かれた本が書見台に載っている。
また、背景にアダムとイブの楽園追放が描かれることもある。この人間の罪をあがなうのが、マリアの受胎であるという意味。

(2)描かれる場所はどこか
 ビザンチン美術では泉のほとりで描かれることもあるが、西ヨーロッパではこのタイプは見られない。ルネッサンス期にイタリアで描かれたものは、屋外、または回廊といった半屋外で設定される。

(3)純血の印は、何を持って現されるか
 マリアが純血であるという印として、よく描かれるのは百合の花。部屋に飾られる場合もあるし、ウフィッツィ美術館にあるレオナルド・ダ・ヴィンチの『受胎告知』のように天使が手に百合の花を持っている。
講座で取り上げられたグレコの『受胎告知』は、「燃える柴」で表される。それは『出エジプト記』3章2節にある「そのとき、柴の間に燃え上がっている炎の中に主の御使いが現れた。彼が見ると、見よ、柴は火に燃えているのに、柴は燃え尽きない」という記述による。この、燃えても燃えても燃え尽きない柴が、キリストを身ごもっても純血のままだというマリアを表しているという。

(4)天使とマリアのポーズ
 大天使ガブリエルの片手を前に出すポーズは、何かを告げているという印。マリアは片手を胸に置いて、驚きを表している。

(5)受胎告知ではなく、託身かも?
 実は、グレコの『受胎告知』は、〈受胎告知〉ではなく〈託身〉である。大天使ガブリエルは片手を伸ばしているのではなく、両手を胸にクロスしている。これは体内にキリストが入ってきたことに対してへりくだっている姿勢を表す。つまり、告知をしているのではなく、キリストがマリアの体内に入る、その瞬間を描いたもの。サン・サルヴァトーレ聖堂にあるティツィアーノの『受胎告知』も同様に〈託身〉である。『受胎告知』と一緒くたにされることが多いが、実は厳密には〈受胎告知〉と〈託身〉は別のものだそうだ。

 こうしたポイントを知るだけでも、絵画を見る楽しみが数倍にもなりそうだ。次回は、グレコの作品が、いかに歴史に翻弄されたかをご紹介しよう。

(続く)

松原典子上智大学外国語学部教授

◆取材講座:「スペインの聖母像-美術と信仰」第2回「エル・グレコの『受胎告知』」(上智大学公開学習センター)

文・写真/和久井香菜子

初出:まなナビ

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