2017.11.04 |暮らし   

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<5>【連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰さん。60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。

 桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」を連載が始まりました。

 若いときには気づかない発見や感動…。シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 ウェールズの大聖堂『セント・デイヴィッズ』にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、長年、セント・デイヴィッズに訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。

 カーディフで一泊し、カーディフ中央駅からハーバーフォードウェストに列車移動。列車内の座席、料金制度、車掌たちの仕事ぶりなど、イギリスの列車事情を目の当たりにして、さすが鉄道先進国と感心する。セント・デイヴィッズはもうすぐそこだ…。

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lll さあ、西へ。古(いにしえ)の大聖堂へ<2>

(2017/4/10 ハーバーフォードウェスト→セント・デイヴィッズ)

●ハーバーフォードウェスト着

 12時23分、電車はハーバーフォードウェスト駅に到着。いよいよここからセント・デイヴィッズへ向かうのだ。

ハーバーフォードウェスト駅

ハーバーフォードウェスト駅の外観

 ハーバーフォードウェストの駅舎は小さく可愛らしい。この駅が、セント・デイヴィッズおよびペンブローク城への起点となる。駅の改札を出たところにあるNo.411バスの停留所で13時発のセント・デイヴィッズ行きのバスを待つ。で、バス停で少し立っていると向こうからオヤジが歩いてきた。彼がいう。

「13時のバスを待っているのかい?」
「そうだよ」
「私もだ」

 これで、この駅のバス停からの乗客は二人となった。彼はニュージーランド人。年の頃は50代といったところか。ラグビーの観戦にきているという。

 このニュージーランド人のオヤジが「こんなバス切符があるのを知ってるか」と、スーパーのレシートのような、感熱紙に印刷した切符を見せてくれた。

 それは域内のバスの1週間乗り放題の券だった。これで値段は6ポンド90ペンスという。

 確かに、その地域乗り放題のチケットは安いものだと後でわかった。例えばこの旅で私はこのハーバーフォードウェストからセント・デイヴィッズまで411のバスで往復し、またハーバーフォードウェストからペンブローク城まで348のバスで往復している。

 この間のバス料金は、前者が片道3ポンド40ペンス×2で6ポンド80ペンス、後者が片道4ポンド90ペンス×2で9ポンド80ペンス、総計で16ポンド60ペンスだから断然乗り放題券が得である。

 こういう情報はあのニュージーランド人、どこで手に入れたのか。

 ちなみにカーディフ空港からカーディフ市内までのT9バスは片道5ポンド×2で10ポンドである。もちろん、どの路線も往復券を事前に買えば割り引き料金で手に入る。むろん、これも後でわかったことだが。まあ、そこまで完璧にやれないし、そもそも忙しい旅なのでそういうことを考える暇もなかった。それでいいと思う。細かくやってもしょうがない。

 13時ぴったりに411のバスがやってきた。電車もバスもいまのところ正確。乗り込む。スーツケースを運転席わきの荷物置き場に置く。ここからセント・デイヴィッズまでは40分ほどである。

 バスはハーバーフォードウェスト駅から近くのハーバーフォードウェスト・バスステーションへ。ここはこの地域のバスの起点で、いろいろなルートのバスをここで利用できる。ちょっとしたショッピングセンターになっている。

 要するにハーバーフォードウェストという町の中心は鉄道の駅の周りではなく、このバスステーションあたりになっているという次第。

 駅の周りには何もない。駅からこのバスステーションは徒歩で10分くらい。遠くはない。

●待ってろよ、セント・デイヴィッズ

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ハーバーフォードウエスト・バスステーションからセント・デイヴィッズを目指す

 バスステーションで乗客をそこそこ乗せてバスは一路セント・デイヴィッズへ。

 気持ちが弾んでくる。そう、いよいよセント・デイヴィッズなのだ。

 行きたくて行きたくて仕方がなかった大聖堂。1997年の夏の終わり、ロンドンでUCL史学科大学院にジェラルド・オブ・ウェールズの生涯に関する修士論文(M.A.Dissertation)を提出し、これですべて完了! よし、日本に帰る前にジェラルドのセント・デイヴィッズへ行くぞ、と計画していたら、すべてのUCLでの課程を終え、全留学期間を覆っていた緊張感から一気に解放された気のゆるみでロンドンに来てから2年間一度も引いたことがない風邪に、しかも大風邪にかかって寝込んでしまい、結局セント・デイヴィッズに行けずに帰国してしまったあのくやしさ。

 さらには日本に帰って2年後に再びロンドンに行くチャンスがあり、今度こそウェールズへ行くぞと意気込んでセント・デイヴィッズの宿まで決めていたのに、ロンドンについたらウェールズが大洪水で列車がロンドンから全然出ておらず、そのときも結局ウェールズ、にいけなかったことなど、もろもろの思い出が蘇ってきた。

 それほど、この20年、セント・デイヴィッズは遥か彼方にあった。私にとっては。

 その、ジェラルドが大司教の座を置こうと、カンタベリー大司教ヒューバート・ウォルターやイングランド国王ジョンと闘った、あの舞台、あの大聖堂セント・デイヴィッズがもうすぐなのだ。

 待ってろよ。セント・デイヴィッズ、ジェラルド!

●いきなり現れた海岸、浜、まるでリゾート

 ハーバーフォードウェスト・バスステーションから411のバスが走り始めてからそんな時間がたってない頃、小さなかわいい街を通り抜けた。坂の町で、ピンクやらブルーやら小さな店舗や家々が並び、とても感じのいい町だ。

 雰囲気のいい教会もある。何という町だろう。後にセント・デイヴィッズから戻ってきて、ハーバーフォードウェスト ・バスステーションから今度はNo.348のバスに乗ってペンブローク城に行くときも、この坂のかわいい街を抜けた。 とても印象的だ。

 411のバスは走る。そのかわいい街を抜けると、後は曲がりくねり、坂を上りまた下り、細い道を、T9のバスみたいに猛スピードで走る。

 周りは開けた風景で、羊が群れる牧場がある。と思ったら、セント・デイヴィッズまでの真ん中くらいのところで、進行方向左側に海岸線。砂浜があり、きれいな浜が見えてきた。まるでリゾート地みたいだ。夏は間違いなく泳げるだろう。店も、Duke of Edinburgh Innという小さな宿もある。キャンプ場も。このあたりの絶好のリゾートという感じだ。後で調べた結果、この海岸、浜はニューゲールという場所であることがわかった。 

●巡礼たちの道

 ここを過ぎると道はまた上り坂。進行方向左手に海、岬を眺めながらバスは起伏のある曲がりくねった丘陵地の一本道を猛スピードで走る。がたがたと音を立てて。

 しかしT9のバスでも感じたが、こっちのバスの運転手は気が荒いというか、運転がうまいというか、いや、車のドライバーがみなそうなのか、とにかく飛ばす、飛ばす。日本の乗り合いバスでは考えられないスピードと、バスの乗り心地の悪さ。何度もいうがこれもお国柄、土地柄、”Do in Rome as Romans do”である。

 道は激しく曲がりくねり、上り下る。あたりは人家もなく寂しいところ。この先に、セント・デイヴィッズと、その町、日本でいう門前町が本当にあるのかと、ふと思ってしまう。でも、考えてみればこれは巡礼たちが通った道だ。この先に彼らが辿りついた大聖堂がある。古より修道院は修業の場、ゆえに人の来ない険しいところに建てられた。それは洋の東西どこも同じ。いまはバスで、車で行くことができるだけ幸せなのだ。

 セント・デイヴィッズに2回巡礼すれば、ローマに巡礼したことと同じになるという。

 人々は巡礼となり、ご利益を願ってセント・デイヴィッズに辿りついたのだろう。たとえ途中で果てても、もとより巡礼の旅、魂は主の御許に辿りつけるものと信じ、人々は疲れた体に鞭打ち、いま私がバスで揺られた、曲がりくねった岬の山道をとぼとぼと歩いたのだ。

 聖なる道。祈りの道。

●征服王も一介の巡礼として

morphart150300347.jpg - old engraved illustration of the seal of king william the conqueror which is preserve in england. industrial encyclopedia e.-o. lami ? 1875.

征服王と呼ばれたウィリアム王のイラスト。ベクトル( 英国)で保存されている。(写真/アフロ)

 あのウィリアム征服王も、一介の巡礼としてセント・デイヴィッズに詣でた。

 アングロサクソン年代記には1081年、征服王が一軍を率いてウェールズに至り、数百の人々を解放したと記されている。その頃、ウェールズではグウィネズ、デハイバースなどウェールズ各王国において王位簒奪(さんだつ)の争いが起こるなど、政情不安定の状態にあり、それらを鎮めるためウィリアム征服王が出向いたものと思われる。

 そのウェールズ遠征中に、ウィリアム征服王は少数の随員を伴っただけでセント・デイヴィッズを訪れた。

 その征服王は、いま私を乗せた411のバスが走っているこの道を通ってセント・デイヴィッズに向かったのだろうか。

 いまここで想像するに、ロンドンから出発したであろう征服王の軍は、すべて陸路でウェールズに向かったのではないだろう。

 船でかなりのところまで行ったはずだ。船団を組んでテムズ川を下り海に出て、イングランド南海岸沿いを航行し、コンウォールをぐるっと回ってウェールズ南岸沖を航行し、スウォンジー湾に入ったか、あるいはもっと先のペンブローク湾に入りそこから上陸したか。はたまたロンドンからウェールズ国境沿いのブリストルまで陸路で行き、そこから船でペンブローク湾に入り上陸したか。

 船できたにせよ、このいま私が走っている道は、ウェールズ上陸後に軍とは離れて少人数でセント・デイヴィッズに向かうとき、間違いなく通ったと考えるのに合理的である。

 ウェールズ最西端の岬にあるその大聖堂に至る道は、いまも昔もそんなにたくさんあるわけではない。千年ほど前、現英国の元首であるエリザベス二世女王のご先祖、ウィリアム征服王が進んだであろう道を、いま私が行く。

 征服王はどんな気持ちで、もちろん、当時も威光輝く、欧州中に名の知れ渡っていた大聖堂に、大司教の座さえあったとされる古のカテドラルに向かったのか。

 イングランド征服の偉業を終え、この後の永い平安を願って訪れたのだろうか。あるいはイングランド奪取に飽き足らず、この神聖なウェールズの地も虎視眈々と狙う、臣下のノルマン貴族たちの領土欲を牽制するため、この地を侵してはならないとする意思表示としてセント・デイヴィッズに巡礼したのだろうか。

 征服王自身は、ウェールズに遠征したのはこのときだけで、彼はイングランドの王権がウェールズ側に浸透していることを暗黙裏に了解されていればそれで満足していたとされている。

 セント・デイヴィッズに詣でた動機はどうであれ、彼が信心深き国王であったことは歴史的事実だ。

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【このシリーズのバックナンバー】

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桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

 

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