2017.12.07 |暮らし

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズへ征く~<19>【連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。

 桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。

 シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」に訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。

 そして、ついに念願が叶い、ウェールズへの旅へ出発する。

 飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着した。

 宿はB&Bの「Ty Helyg(ティー・へリグ)」。早速、訪れた大聖堂は土地の谷底にそびえ建っていた。神聖なる聖堂の中へ入り、ついにジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合う!また、思いがけず、テューダー朝の始祖である国王ヘンリー7世の父、エドモンド・テューダーの石棺にも巡り合う。

 ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上したいという思いを果たし、翌朝、再び「セント・デイヴィッズ」を訪れた際、教会の幹部聖職者である参事司祭に出会い、前日渡した著書のお礼を言われるのだった。そして、次の目的地、ペンブロークを目指す。18回からはペンブローク城の成り立ちを解説。

ペンブローク城 (2)

ウェールズの南西に位置する「ペンブローク城」は11世紀はじめにノルマン人によって建てられた

* * *

(2017/4/11)

VII これぞカッスル、ペンブローク城【3】

■ペンブローク伯となったジャスパー

 1452年、ヘンリー6世はエドモンドを「イングランドのリッチモンド伯」に、ジャスパーを「ウェールズのペンブローク伯」に任命する。

 これにより、弟のジャスパー・テューダーはこのペンブローク城を本拠地とするわけだが、ウェールズの名門テューダー家の人間が自分たちの領主となったことに、ウェールズの人々は歓喜するのである。

 ちなみにウェールズは、このときをさかのぼること約170年前、イングランド国王エドワード1世によってついに征服され、それまでノルマン人のイングランドに散々侵略されながらも何とか踏ん張っていたウェールズの政治的独立は、終わりを遂げていた。

 けれども、人々はウェールズが再びイングランドから独立を取り戻すことを強く願い、耐え忍んでいたのである。

 こうしたウェールズの人々の思いは、アーサー王の甦り伝説(King Author’s messianic return)とも重なっていた。

 そもそもウェールズはアーサー王伝説発祥の地であり、人々はモルドレッドとの戦いの後アヴァロンに去り、そこで眠っているとされている彼らの英雄アーサー王がいつの日か甦り、自分たちを解放し、再び全ブリテンの王になるという言い伝えを信じていた。

 当時、実際にアーサー王を探しに行った人もいたのである。そんなウェールズの人々に、テューダー家というウェールズの名門の血が流れる「ウェールズ人」、ジャスパーがペンブローク城に住み、ここの伯になったのは本当に頼もしく映ったのだった。

■ばら戦争

 さて、エドモンドとジャスパーがイングランド国王ヘンリー6世と同じ母親でつながった兄弟ではあっても、この二人にはイングランド王家を継承する血は流れてはおらず、王となることはできなかった。

 しかし、ここから英国史を変えた奇跡の本編がいよいよ始まる。

 弟思いの長兄のヘンリー6世は、エドモンドの婚姻を取りまとめる。弟の花嫁に国王の兄が選んだ相手は、サマセット公ジョン・ボフォートの娘、マーガレット・ボフォートだった。

 ジョン・ボフォートは国王エドワード3世(在位:1327―1377)の三男のジョン・オブ・ゴーントの孫であり、その娘となれば当然イングランド王位継承権を持つ。

 重要なのは、このマーガレット・ボフォートとエドモンド・テューダーの間に子供ができれば、当然その子も王位継承権をもつ、ということである。

 そして実際、マーガレットはエドモンドの子を身ごもった。

 この母親のお腹の子、それがヘンリー・テューダーだったのである。つまり、ウェールズ名門の血が流れる子がイングランドの王位継承権を持つ。もし、その子が国王になったら…。

「アーサー王の再来」として、イングランドに押されまくっていたウェールズの人々は歓喜するに違いないのである。

 だが、父のエドモンドはわが子の顔を見ることはかなわなかった。

 ばら戦争の最中、ウェールズのカーマゼン城で守備についていたランカスター家のエドモンドは、城を包囲したヨーク派に捕らえられ、同城で獄死したのである。

 このとき、エドモンドの本領地イングランドのリッチモンド城には7か月のお腹を抱えたマーガレット・ボフォートが一人取り残されていた。

 そこに兄嫁マーガレットと生まれてくる子供を案じた末弟のジャスパーが駆けつけ、自分の居城であるペンブローク城にマーガレットを連れていきそこで保護することにしたのである。

 ちょうどこの頃は英国を二分した赤ばらの紋章の「ランカスター家」と白ばらの紋章の「ヨーク家」が、血みどろの内戦を展開した30年にも及ぶばら戦争のただ中だった。

 ランカスター家とは、前述のエドワード3世の三男ジョン・オブ・ゴーントから始まる王位継承の血統をいい、一方ヨーク家とは同じくエドワード3世の四男エドモンド・オブ・ラングリーから始まる王位継承の血筋をいう。

次回は12月9日公開予定です。

→このシリーズのバックナンバーを読む

桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

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