2017.11.23   

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<13>【連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。

 桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。

 シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」に訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。

 そして、ついに念願が叶い、ウェールズへの旅へ出発する。

 飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着した。

 宿であるB&Bの「Ty Helyg(ティー・へリグ)」へは、早めに到着。荷をほどき、早速、大聖堂を目指す。カテドラルは土地の谷底にそびえ建っていた。神聖なる聖堂の中へ入り、ついにジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合う!そして、自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上した。

 大願を果たした後、空腹に気づき、「セント・デイヴィッズ」近くのパブで食事を済ませ、宿に戻るのだった。

→第12回までを読む

V カテドラルで、20年目の邂逅【3】

●奥さん登場!

 時計は午後4時半を回り、私はティー・ヘリグに戻った。

(宿の主人である)グレッグに続き、女の人が現れた。グレッグの奥さんのエリンだ。彼女は小さな二人の女の子を連れている。

 いつも思うことだが、金髪の欧米人の小さな子供はもう、天使そのものだ。男の子女の子を問わず。

 3歳と2歳の年子の姉妹ということであり、てっきり私は二人の子供だと思ったら、孫だという。えっ、なんて若く見えるんだ、この夫婦は!

 エリンは素敵でとても明るい女性だった。夫婦には息子と娘がいて、この二人の女の子は今、カーディフに住んでいる息子の子供たちであり、彼の仕事の都合上ここで預かっているのだと。

 さっき私が来た時にいなかったのは、二人を連れてショッピングに行っていたのだということ。

 そして言ってくれた。

「グレッグからとても素晴らしいゲストが来てくれた、と聞いてますよ。ティー・ヘリグへようこそ!」

 もう、私はすっかり舞い上がってしまった。ひしひしと、歓迎されているのを感じた。

 これが、噂に聞くウェールズ人の人懐っこさ、素朴さなのだろうか。

 私のまわりの日本人たちは、みなウェールズの人々の温かさを口をそろえて言う。もっともそれは日本人の中でも、海外勤務や留学などでウェールズでしばらく暮らしたことがあり、ゆえにその地に深い縁のあった人たちの感想であって、ある意味、身びいきがあって当然だ。私の属している在日ウェールズ人の会の日本人メンバーはほとんどそうした人たちだ。

 しかし、それらを勘案したとしても、今、私はウェールズの人たちに温かく、実に心地よく接してもらっている。これは、やはり彼らのNatureなのだな、と感じた。

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宿であるB&B「ティ・ヘリグ」の部屋からの眺め。オーシャンビューだ

●日本の本の読み方

 気持ちよくなりついでに、私はグレッグに「セント・デイヴィッズ」に自著をついに奉納することができたことを話した。

Congratulations! You’ve fulfilled your long-holding wish at last! (おめでとう!願いがついに叶ったね)

So, now whenever I may die, I’m OK. (うん。もうこれで、いつ死んでもいい)

 二人は大笑いした。

 そうだ。私は大急ぎで2階の自分の部屋に行き、スーツケースからもう一冊持って来た自著を取り出すと階段を駆け下り、キッチンにいたグレッグとエリンに差し出した。

「これをここにも謹呈したい。セント・デイヴィッズの町への感謝の気持ちだよ」

 二人は喜んで受け取ってくれた。とくにエリンは興味津々に私の本を手に取って、めくっている。

 ところがめくり方が逆で、裏表紙、いわゆる表4面からページを開けている。そう、ほとんどが縦書きの日本の本は、右から左へと読み進む右綴じであり、左綴じの洋書とは逆なのである。

 ああ、そうだよな。日本の本を見たことがなければこうなるよな、と私はなんだか微笑ましくなってきた。

 エリンはついに私に尋ねる。

「この文章は横に読んでいくの?」

 この問いも私には新鮮だった。なぜって、生まれて初めて縦書きの日本語の本を見れば、それは英文と同じように横に読んでいくものだと思うのも当然だろうと。

●弾むキッチンでの会話

 私はエリンに説明する。

「日本語の本はページの右から左へと読んでいく。文章は上から下へと読む縦組み(perpendicular layout)がほとんどで、横組み(horizontal layout)は少ない。

 また日本語の書き言葉には表意文字(ideogram)である漢字と、アルファベットと同じ表音文字( phonogram)のかながあり、その組み合わせで日本語の書き言葉はできている」

「表意文字って?」

 またまた彼女が質問してきたので、よしっ、と引き締まる。

「一つ一つに特定の意味がある文字のことで、同じ発音の字も多いが意味は違う。例えば…」

 そう言って私はキッチンのテーブルの上にあったメモ用紙に「美」という漢字を書いた。

「これはbiと発音しこれ一字でbeautyという意味を表す漢字だが、同じbiという発音でも尾という漢字もあり、これはtailのことなんだ」

 エリンは目を丸くして聞いているが好奇心ありありで、こういう人は頭がいい。調子に乗った私はさらに、

「私の名前はアルファベットで書けばTOSHIAKIだが、どういう漢字を組み合わせてこの発音をしているのかが、日本人には大事なんだ。TOSHIAKIと発音する漢字の組み合わせはたくさんあるからね」と続ける。

 するとエリンは、

「じゃあ、TOSHIAKIに使われている漢字はどういう意味なの?」

 と、表意文字の理解が完全にできた質問を即座にしてきた。すごい、グレッグの奥さん!

 で、「まあ、私の名前は賢いとか、褒められるとか、そういう意味の漢字を組み合わせて発音してるよ…なんか、偉そうだけれどね…でもこれは親が決めたわけだから…」と照れて答えると、二人ともそこで大爆笑となった。実に愉快なキッチンでの会話である。

●この日の終了

 その時、ちょっと席を外していたグレッグがある写真を持って来て見せてくれた。

「トシはこれでカテドラルと縁ができたよね。『セント・デイヴィッズ』にはつい最近、女性司教が誕生したんだ。これはイギリスの歴史で初めてのことだ」

 私は覗き込む。真ん中にグレッグが言った女性司教が写っていて、そのまわりに大聖堂の数人の上級聖職者が彼女を囲んで写っている。

 ちなみに私はもうここでは「トシ」と呼ばれている。

 そうか、さすが「セント・デイヴィッズ」だ。やはり歴史をつくる教会だ。すごいなあ…。そうぼんやり思いながら、そろそろ睡魔に襲われてきた私は、その写真に懸命に目のピントを合わせながら見入っていた。

 このことが翌朝、決定的な役割を果たすことになるのを知らずに。

 時刻は夕方の6時を少し過ぎていた。私は猛烈に眠たくなってきた。

 昨夜のマリオットホテルでは時差であまり眠れていない。そのつけが今来ている。ここで眠るタイミングを逸したら、またぞろ時差の影響が現れて、目がさえてしまう。

 私はグレッグとエリンに、昨夜ほとんど睡眠がとれてなかったので、早いが今から眠る。夕食はすでに済ませているので心配しなくてもいいと伝え、2階に上がっていった。

   パジャマに着替える間もなく、上着とズボンを脱いだまま、ベッドの上で横になった。とたん、眠ってしまった。途中、夜の10時にいったん目が覚め、改めてパジャマに着替えベッドに潜り込む。

   そしてまた、スーッと眠りに落ちていった。

→14回を読む

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桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

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