2017.12.15 |暮らし   

84才、一人暮らし。ああ、快適なり「第10回 遊び」

 才能溢れる文化人、著名人を次々と起用し、ジャーナリズム界に旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』。この雑誌の編集長を、創刊から30年にわたり務めた矢崎泰久氏は、雑誌のみならず、映画、テレビ、ラジオのプロデューサーとしても手腕を発揮、世に問題を提起し続ける伝説の人でもある。

 齢、84。歳を重ねてなお、そのスピリッツは健在。執筆、講演活動を精力的に続けている。ここ数年は、自ら望み、一人で住まう。

  そのライフスタイル、人生観などを矢崎氏に寄稿していただき、シリーズ連載でお伝えする。

 今回のテーマは、「遊び」。それは、矢崎氏の人生にとって欠かせないテーマ。さて、矢崎氏の遊びとは…。

 悠々自適独居生活の極意ここにあり。

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お気に入りのイタリアンレストランで

* * *

座右の銘は「遊びをせむやと生まれけむ」

 むかし、町内にはご隠居さんがいて、子供たちの相手をしてくれた。

 したがって爺さんは、遊び相手でもあった。歴史的にも人気のあった好々爺(こうこうや)は、良寛(りょうかん)さんと一休和尚(いっきゅうおしょう)だった。

 この二人は共に僧侶だったが、室町と江戸だから大部時代は離れている。しかし、共通点が沢山あった。

 子供たちに、遊びをとことん教えたのである。

 それも、人が生まれて、何より大切なことは遊びだという思想だ。勉強せよとか、親の言うこと聞けとか、礼儀をわきまえろとか、戦(いくさ)に備えよとか、耳ざわりの悪いことは一切言わない。

 伝え聞いたところによると、絶対に子供を叱らなかったという。

 遊べ、遊べともっぱら遊びを奨励し、楽しい本を読んでくれたばかりか、いろいろな道具を使って、陽が暮れるまで境内や原っぱで、子供たちの相手をしてくれたという。

 今どきの爺さんときたら、子供たちとのコミュニケーションなどほとんどない。

 これは親たちにも責任はあるが、今や爺さんは厄介者になり果てている。

 しかも、子供たちにはスケジュールがいっぱいあって、遊んでる暇などないらしい。つくづく時代は変ったと痛感するばかりだ。

 私が「遊びをせむとや生れけむ」という言葉を知ったのは、良寛さんの絵本からだったが、子供心にズシンと落ちた。

 以来、84才の今日まで、私にとって座右(ざゆう)の銘(めい)ともなっている。

 梁塵秘抄(りょうじんひしょう)なるものが原点であって、正確に記すと、なかなか深い意味(あじわい)を持っている。

 「遊びをせむとや生れけむ 戯(たわぶ)れせむとや生れけむ 遊ぶ子供の声聞けば我が身さへこそゆるがれる」

 人の人生は遊ぶために存在すると定義されているのである。

 それなのに、いつの間にか、私たちの社会は、遊びをともすると蔑視するようになる。遊び人は悪人同然と思われ、遊びは二の次、三の次の扱いを受けるようになった。

 私はこれがずっと気に入らなかった。

 「仕事が忙しいから遊びに行けない」

 平然とそんなセリフを口にする友人に私はいつもうんざりした。

 老いてわかったことだが、私が遊び優先の生き方をしていたおかげで、いまだに退屈ということを知らない。一人で居ても、何かしら楽しいことを思いつき、遊びに耽ることがある。

 遊びほど人を豊かにしてくれることは、他にないだろう。私はそう確信している。

 遊びの種類は、それこそ数え切れないほど沢山ある。少人数でも大人数でも、遊びに事欠くことはない。言ってみれば、地球は遊びの宝庫なのだ。

遊び心を忘れずに30年雑誌を作り続けた

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どんな場面でも遊びをみつける。ふとしたオシャレも遊びから…

 私はかつて30年間、雑誌作りをしてきた。しかし、いわゆる職業としてではなく、生業(なりわい)と呼べるようなものでもなかった。

 若い頃、和田誠という天才アーティストにめぐり会い、「楽しい雑誌を作ろう」と意気投合した。二人が納得できる雑誌とは何か。つまり、読者は私たちだけでいいという、遊びの精神だった。

 1965年に『話の特集』創刊号を発行した。3号雑誌ではなく、30年間は作り続けようと約束したのだった。

 自分たちが読みたい作品、見たい写真や絵、笑い転げてしまうような会話、楽しませてくれるもの、面白くてならないもの、そしてふとした眞理(ホント)。

 どれもこれも、和田さんと私にとって珠玉のようなものをひたすら追い求め、一冊の雑誌にギュッと詰め込んだのである。

 これが原点だった。そして、多くのクリエーターから賛同を得て、やがて読者に受け入れられるに至った。それでも、初心は変ることはなかった。二人にとっての高度な遊びをひたすら追及し続けたのだ。やがていろいろな人が集まってきた。

 むろん失敗も挫折しそうなこともしばしばあった。しかし、これは私たちが求めた遊びなんだという自覚が、それを支えてくれた。

 遊びは変化する。一冊の雑誌から、別の遊びが誕生する。和田さんも私も、枠の中に定着していたわけではなかった。そこから形の変えた遊びが派生した。そして、いろいろな分野にそれは波及して行った。嬉しかった。

 誰にでも子供の時代はある。遊びだけが支配していた期間があったはずである。それを思い出してみるならば、肉体の衰えなどどうでもよくなってくる。

 老いてこそ、子供に還る。童心が覚えている楽しみを取り戻すことで、私の現在は満たされるように思えてならない。

「遊びをせむとや生れけむ」という言葉を是非噛みしめて欲しい。

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矢崎泰久(やざきやすひさ)

1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。

撮影:小山茜(こやまあかね)

写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。

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85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第11回 ギャンブル好き】

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第1回 そもそものはじまり
第2回 老いはするが老人にはならぬ
第3回 自由って何だろう
第4回 おいしい生活
第5回 通院の帰り道
第6回 好色のすすめ
第7回 夢の続き
第8回 耽るということ
第9回 テレビの功罪
第10回 遊び
第11回 ギャンブル好き
第12回 便利は復讐する
第13回 老作家が描くエロスの凄み
第14回 スマホって何だろう
第15回 不倫スキャンダル
第16回 明治維新と向き合う
第17回 無駄遣い
第18回 ラブレター
第19回 老いらくの恋
第20回 料理人(シェフ)はアーチスト
第21回 エロティシズム礼賛

 

 


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