2019.11.07 |暮らし   

介護という旅の途中で「第13回 続く台風。そして…」

 写真家でハーバリストとしても活躍する飯田裕子さんによる、フォトエッセイ。

 南房総に住む飯田さん、勝浦市で1人暮らしをする母共に、台風による大きな被害は免れたものの、不安を抱えながらの生活は今も続いている…。

房総半島の海

美しい景観を誇る房総半島を台風が襲った

 * **

再びの豪雨の中、勝浦ヘ向かう

 10月25日。

 昨夜は千葉県の房総半島が集中豪雨だった。台風15号以来、避難警告が早く出るようになった。

 サイレンやアナウンスが豪雨の中、町中に響く。我が家はマンションの6階だが、ここにも窓ガラスに瓦が飛んできてヒビが入る恐れがあるし、サッシの下から漏水することもあるので準備を整える。台風15号以来、ベランダにはモノを置かないようにした。風でモノが飛ばされ、近隣を直撃する危険もあるからだ。

 千葉県に集中豪雨警報が出た日、勝浦で1人でいる母に電話を入れた。

「今、管理事務所に連絡しようと思ったけど、電話番号がどこかなくなっちゃってる」
「ボードに書いてあるでしょう?」
「お隣の別荘の人も帰ってしまったし、1人きりで不安で」
「今から行くからね」
「ああ、安心した…。待ってますから」

 母の住む勝浦へ向かう途中、今後停電になることも考慮して、コンビニでパンを買う。

 道路脇の河川が激流と化して海へ流れ出し、海の色は青さの面影もなく、泥水のような色で乱れた波頭を立てて吠えている。早くこの道を抜けて高い場所を走る道に出たい。雨は少し小降りになったものの、ふいに台風19号で起きた河川の堤防決壊が頭をよぎる。

 台風19号の時は事前に停電の事態を予測し、勝浦で待機した。あの時は、夜半、雨風が強くなり、地震も起きた。そうだ。台風は天気図で進路や上陸をあらかじめ大まかに予測できるから準備もできる。しかし、地震は突然起こるのだ。もちろん、台風だって予想だにしない事態が起こる。自然の猛威の前には、人は無力なのだろうか。

 もう11月まで後少しだというのに、気候温暖化の影響で海水温が上がり、容赦無く低気圧が太平洋を北上しては千葉県の房総半島にやって来ている。喜ばざる客。

 勝浦では母が雨戸を朝から開けずに閉めっぱなしにしていた。2階の雨戸がない窓に、ガムテープでガラスの破壊予防を施したが、しばらくは剥がさずにそのままにしておいて良かった。

 サッシの隙間には新聞紙を詰め、停電への備えで懐中電灯は常にテーブルにある。避難所へ行く事態にはまだなっていないものの、落ち着かない日々が続いている。

 そして、母は台風の後、認知症の症状がまた進んだような気がする。

 まず、食事を作れなくなってきた。

 ご飯に卵を混ぜたままのものがコンロの上に放置されていたり、豆腐に何を混ぜたのか、見たこともない不思議な料理がラップをかけたままやはりそのまま置いてある。

「これは何?」
「あ、後で食べようと思ってるから置いといて」
「いつ作ったの?」
「いつだったかなあ??忘れた…」

 少し口に含むと、豆腐に酸味があり痛んでいたのですぐに破棄した。

 ほぼ1日おきにヘルパーさんに来てもらい、買い物と調理をお願いしているのだが、つい先日、ヘルパーさんと電話で話した時も「ご飯、召し上がってないみたいです」との報告があった。

 母が、食事を食べない時はテーブルにセットして置いてある、とのことだった。

 そこで、沖縄おばあの知恵「カチューユ」を母に勧めてみた。鰹節にお湯を注いぐだなのだが、これを飲むだけでアミノ酸やミネラルが摂れる。

カチューユ

沖縄のおばあ伝授「カチューユ」。サッと手軽に栄養が摂れる

 ヘルパーさんが滞在する1時間は、母は食事より会話をしたいのだろうと思う。

 そうやってヘルパーさんと話をする時間を忘れるのか、母は「ずっと誰も来ないの」と言う。さらに「洗濯物を干しておいたら、下着を1枚だけ盗まれたみたい」と、被害妄想と思われる症状も現れてきた。

 とはいえ、特異の行動はほぼなく、徘徊もない。トイレは自分で行き、杖なしでも歩ける健康体だ。明るい性格なので、きっと軽い方なのだろう。

 だが、私としてはそんな母を家に1人にしておくことが気がかりで、台風15号以後は、益々頻繁に勝浦に通うようになった。

複雑な胸のうち

 そんな時、私の胸の中を正直に言えば、親孝行したいと思う気持ちと同時に、なんとも言い難い不満も渦巻いている。自分の中の黒い感情がマグマの底から発露するようだ。

 母と娘の関係は微妙なのだ。

 幼い頃、母がヒステリックに私に放った言葉や行動も、ふとした時に頭によぎる。そして、どうしても引っかかるのは弟への贔屓。

 子どもの頃から母は弟には甘かった。「お転婆だったあなたとは違う」とすぐにキャラクター論にすり替わり、話にならない。

「今時の人たちは私達の時代と考えが違ってしまい、親を施設に平気で入れるのね」とため息をつく母。

「弟が長男なのだから…」と返せば、「だって海外にいるんだから無理でしょう」と言いきる。

 弟が帰国する際、彼に力仕事を手伝って欲しいことがあって…、と母に言えば「遠くから来て疲れてるんじゃないの?可哀想に。それより、布団の用意はできてる?」

 私は弟家族のアテンド・ヘルパー役をずっとやってきたので、弟の世話を焼くことが、やって当たり前のことになってしまった。

 これは、嫉妬の感情だと捉えるべきなのかもしれないが、介護の心理的疲労がたまると私とて不条理に感じてしまうのだ。

 先日、88歳で1人暮らしをする母親のケアをしている友人と久々に会ったのだが、彼女も「母は私に対しては簡単に頼み事をするのに、兄には全く言わないの。あの時代特有の、男尊女卑の観念が女性にも染み付いているのね….」と言っていた。

 お互いに、顔を見合って頷きあった。

 家族、肉親ほど全てがわかっているようで、実はほぼわかっていないのかもしれない。思い込みの“人格ステッカー”を相手にはる。「娘はこういう人間」「母はこういう人間」と決めつけた役柄を外さない。

 きっと、まるでできあいの調味料みたいに性格も、「〇〇味」、としてしまった方が楽だからだ。

 でも、人間は様々な体験、経験を通して現在進行形で変化している。親子といえど、私は母と違う道を辿り、母が想像もできない景色や文化の中を旅してきた。

 しかし、今更母にそれを大声で伝えるのはエネルギーの無駄とも思う。

 結局、私が老いた母の価値観に合わせつつ歩むしかないのだ。使う調味料や味付け、インテリア小物やタオルの質感や色合い、洗剤の種類まで、母が「家庭」と呼んできた昭和テイストのスタイルに私が適応しつつ暮らしている。

 でも実際、そういった一見小さな事柄がストレスとして、私の中に積み重なっている。

 ふと、自分はかなり特殊な道を進んできた人間であり、それが介護の時にエゴとして壁となっているのではないかと思ったりもする。

 でも、エゴを捨てることは自分が空っぽになるようで怖かった。

 しかし、人は、自分も含め必ず齢を重ねる。構築したものをどんどん重ね、そしてやがて最期は父や母のように解体してゆくのだろう。

 そうだとしたらエゴがあるうちが花なのだろうか?もし今、母がいないとしたら、私は一体どんな風に生きているのだろう?いや、今どのように生きたいのか?

 コンビニに車を走らせ書類のコピーをとりながら、この勝浦の辺境に突如現れるコンビニの明るすぎる店舗に入る。日本全国の人々が同じ味やパッケージに安心して生きている今をふと、訝しく思った。

 房総と東京の2拠点を行き来しながら暮らす友人はきっぱりと言う。

「老いた者の方にエネルギーを使いすぎるのはやめた方がいいよ。それより未来ある子ども達に私ができることを手渡す仕事に時間を使うわ。母は1人暮らしは無理になって、施設に入ることになってね、入る前は嫌がっていたけれど、今は受け入れて楽しそうだよ。週末には姉が母を実家に連れて帰ってるから安心だし、裕子さんもそうした方がいいんじゃない?」

 でもまだ、私の心の中は揺れている。

 弟から、「台風被害大丈夫?来週からアメリカへ仕事で行くよ。こんなに地球温暖化とか騒がれて、飛行機に乗っていくことすら罪悪感を感じる時だけどね」とメールが入る。

「こんな時だからこそ、その目でしっかりアメリカを見てきてね、体に気をつけて楽しんできて」
「ありがとう」

 結局、私は長女で、姉である自分の役柄から抜け出せないのだ。でもそれを、敗北感とせず、誇りにしてみようか。半ば投げやり気味にそう思った。

施設の見学

 そして、母を諭して、ようやく館山の施設に見学に行くことになった。

飯田裕子さんの母

認知症の症状は少し進んだが、足腰はしっかりしている母

 その施設は館山の街と鏡ヶ浦を遠くに見下ろす高台の上にあり、街と鏡ヶ浦が一望の素晴らしい立地だった。施設長の方、ケアマネの方も明るい笑顔で、その表情に人柄の良さも見て取れたので安心だった。

 しかし、母の心のうちは暗いようだ。

 まるで幼稚園に行きたがらなかった幼い頃の私のように、母は体のいい言い訳を作って施設入りをなんとかキャンセルしたいらしく、その方向に会話を持っていこうとしていた。

 またしばらく勝浦に戻り、愛犬ナナと母の日々が続いている。母の頭の中ではグルグルとシミュレーションが始まり、その不安が認知症をさらに進めてしまったようで心が痛む。

 とはいえ、冬も間近になり、母を1人勝浦に置いておくことは難しいだろう。

 覚悟を決めなくてはならない。

(つづく)

写真・文/飯田裕子(いいだ・ゆうこ)

写真家・ハーバリスト。1960年東京生まれ、船橋育ち。現在は南房総を拠点に複数の地で暮らす。雑誌の取材などで、全国、世界各地を撮影して巡る。写真展「楽園創生」(京都ロンドクレアント)、「Bula Fiji」(フジフイルムフォトサロン)などを開催。近年は撮影と並行し、ハーバリストとしても活動中。Gardenstudio.jp(https://www.facebook.com/gardenstudiojp/?pnref=lhc)代表。

●台風15号復興支援 チャリティー写真展のお知らせ

「がんばろう!美しい房総」

望む想いを形にした、三人の写真家による南房総被災支援チャリティー写真展『望想 BOSO』が開催されます。
photographers:室井翼、川村剛宏、飯田裕子

期間:2019年12月5日~15日
場所:ギャラリー&スペースMOMO(千葉県南房総市岩糸1093 電話:0470-28-4621)
お問い合わせは右記メールアドレスまで:yukopict@mac.com

●『がんばって!美しい房総 台風15号、19号、豪雨被害への応援基金』のお知らせ

ポストカードや写真集を購入し、被災地を支援しませんか?
詳しくは、『ピクチャー・フォー・ドネーション』(http://pford.net)をご覧ください。

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