2018.01.18 |暮らし   

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<37>【連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。

 桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。

 シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」を訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。

 飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着。

 神聖なる大聖堂では、ジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合い、ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へついに献上。念願を果たすのだった。

 翌日は、ペンブロークへ。ペンブローク城内巡りを堪能し、一夜を過ごした後、来た道を遡り、最初に宿泊した街カーディフへ再び到着。

 カーディフでは、「カーディフシティホール」を訪れ、新著の資料として、置かれているウェールズ史の英雄11体の像を撮影するという大きな目的がある。撮影申請したところすんなり許可が下りた。

→前回(36回)を読む

カーディフ城のkeep(天守)

カーディフ城の天守

 * * *

X 英雄たちと黒ビール(4)

(2017/4/13 カーディフ)

●いざ、カーディフ城へ

 英雄像の撮影を完了した私はシティホールを出て、次の目的地「カーディフ城」へ向かう。

 地図で見る限り、シティホールから西方向へ歩いて10分程度の距離である。心地よい爽やかな空気の中、私はうまく英雄像が撮れたこともあり、心を弾ませ歩いている。

 やがて広い通りに沿った高い石壁が見えてくる。カーディフ城の城壁である。ぐるっと、城壁を伝うように城を半周すると、そこは城門である。この辺りは市内の中心ともいうべき賑やかなところで、城門の前の広い通りには車がひっきりなしに行きかっている。

 その通りの向かい側の建物群を私は城門付近からじっと見る。「ジュリーズ・イン」(宿泊中のホテル)のイケメンスタッフが地図に目印を入れてくれたスーベニアショップはその辺りのはずだ。おっ、あった。看板がカラフルでかなり大きい目立つ店が2軒、道路の向かい側に確かにある。

 よし、カーディフ城を見たらあそこに行ってカミさんに頼まれたリーキのバッジを買おう。店が2つあるから両方で買えば20個は揃うだろう。

 とりあえず安心した私は、大きな、見事な城門をくぐり、すぐ右のチケットセンターの建物に入って窓口に並ぶ。窓口の上に貼ってある入場料一覧を見ると、アダルト12ポンド50ペンス、シニア10ポンド95ペンスとある。

 窓口のおネエさんにシニアは何歳からだと聞くと60歳からだという。じゃあ、私は堂々たるシニアだ。身分証明書はいるか、パスポートを見るか、と聞くとそれはいい、と。で、私はシニアのチケットと公式ガイドブックの5ポンドを合わせて15ポンド95ペンスを支払った。ちなみに一昨日入ったペンブローク城ではシニア規定は65歳からで、64歳5か月の惜しかった私は、そこではアダルト料金で入ったのだった。

●時代的に異なった建物が混在している城

 さておき、いよいよカーディフ城の見学となるのだが、その前にまず私の個人的なこの城の印象を記したい。

 カーディフ城は、例えばペンブローク城と比べてみた場合、いわゆる「城郭」としての城のイメージはあまりぱっとしない。濠や高い城壁、櫓(やぐら)や数々の塔など、見るからに中世の城郭をそのまま伝えるような堂々たる構えを擁するペンブローク城に対し、カーディフ城は城壁に周りをぐるっと囲まれて敷地面積こそ広いものの、その中心には本丸あるいは天守閣を意味するキープ(Keep)と呼ばれる、さほど大きくない石造の建物が築山の上にあるだけだ。

 いや、これはいい過ぎかもしれない。実際にはカーディフ城内には、観光客が驚きの声を上げる美しいステンドグラスや色鮮やかな壁画で装飾された大きな館(Mansion)、あるいは見事な色彩の中世風人物像が外側に複数配置された高さ46メートルに及ぶ大時計塔(Clock Tower)などの建物群がある。

 ただ、正確にいえばこれら華麗な館や大時計塔は、はるかに後になってから付け加えられたものだ。

 カーディフ城が18世紀後半にビュート侯爵(Marquess of Bute)家の所有物になって以来、彼らファミリーが住む館が造られ、それらはビュート家の趣向に基づいてたびたび増改築され、その都度オリエンタル趣味の、あるいはヴィクトリア朝スタイルの華麗で贅(ぜい)を極めた装飾、調度が付け加えられ、さらに19世紀後半には大時計塔が建てられて今日の姿に至った。もちろん現在のカーディフ城のオーナーはカーディフ市であるが。

 従って、カーディフ城には本来の城郭以外の要素を持った時代的に不揃いな建物群が混在している、あるいはその混じった状態がカーディフ城である、といえるのかもしれない。こういうわけで、修改築されているとはいえど中世の偉容を今日に伝えているペンブローク城に比し、カーディフ城は、私にとってはとても中途半端な感じがするのである。ただし、中央の キープは別格である。さほど大きい建造物ではないが、これぞ城。本丸、天守閣の貫禄十分である。

 もともとカーディフ城は紀元1世紀の中頃、ブリタンニア駐留ローマ軍の砦として造られたのが始まりである。当時は濠と土壁と木材で構成された簡素なものだったが、4世紀になるとローマは石材を多く使ったより強固な要塞に建て替える。

 そののち11世紀末、ペンブローク城のところでも触れたがウェールズに侵攻してきたノルマン人の一派、ロベルト・フィッツハモがローマの要塞跡の石や土盛りを再利用し、多くの木材を使ってキープの原型を建てる。現在のような12角の石造りの建物になったのは1135年のウェールズ人の大反抗以降で、 キープが載った築山の周りには今はないが濠があったという。

●その調子、その調子!

 私は真っすぐにキープに向かう。築山にはキープの入り口に繋がる階段が設けられていて、これを上る。ものすごく急な階段で、一段一段の奥行きも狭くかろうじて足が収まるほどだ。

 ペンブローク城でも階段が一番怖かったので、私は段を踏み外さないように、滑らないようにと慎重に上がる。ふと階段の途中の、踊り場になっているところの左側に何か小さな部屋がある。

 何だろうと覗いてみると井戸があった。水の手ほど城にとって大事なものはない。水があってこそ籠城(ろうじょう)もできるのであり、一番守らなければならない本丸に井戸があるのはさすがである。

keep階段脇の井戸

キープ階段脇の井戸

 階段を上り切りキープの入り口から内部に入ると、そこは、天井が吹き抜けの緑の芝を張った、中庭のような円形の広場だった。広場の周りはキープの外壁に囲まれている。いわばキープは中が空洞の円筒を立てたような建物であり、入り口のある面が厚く造られていて、塔のように高くなっている。そこには階段があり上っていくと途中でいくつか居住用の部屋がある。さらに上に行くと屋上である。

keep内部

キープの内部

 私はまず緑の円形広場、というか中庭をゆっくり一周し、それから注意深く階段を上ってついに屋上に出た。実に気持ちがいい。360度、カーディフ市内がパノラマで見渡せる。カーディフのラグビーやサッカーの聖地、あのレッド・ドラゴンズの本拠地である開閉式屋根のミレニアムスタジアムもすぐそばにある。大きく伸びをし、ああ、ほとんど終わったなと思った。

 私のウェールズの旅も、見るところはあとウォーターフロント地区のウェールズ議会の建物のみ。ずっと時差にやられっぱなしだったが、でも日中はフルに歩き回れた。まだまだ体力はそこそこあるし、英語も、まあ褒められた代物ではないけれど、意思の疎通は問題ない。歳ではある。が、もうちょっと自信を持っていいのかもしれないなと、城の一番高いところに上ったせいで気持ちが爽快に、壮大になった。そうか、城とはこういう効果があるのか。これはいい。

 来た時とははるかに足取りも軽くなり、私はキープの入り口を出て築山に架かる階段を下りようとした。すると下から小さな、本当に小さな金髪の女の子たちが二人、一生懸命に、でもちっとも苦しそうではなく、きゃあきゃあ騒ぎながら上ってくる。

 こんな急な階段を、日本の親なら決してさせないようなことを、でも幼い姉妹の真下にいる若いお父さんは、これもニコニコしながら二人を励ましつつ見守りながら、上ってくる。いい風景だ。こちらの親はあまり干渉ぜず自由にやらせているのだなあと、私は小さい姉妹に向かって思わず言葉が出る。

“That’s the way, that’s the way!”

 その調子、その調子! お父さんは私に目であいさつし、ついに二人を上り切らせたのだった。城はやはり、みんなの求心力だ。

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桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

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