2018.01.20 |暮らし   

シニア特急~初老の歴史家、ウェールズを征く~<38>【連載 エッセイ】

 長年、イギリス史を研究してきた、歴史家でエッセイストの桜井俊彰氏は、60代半ばにして、自身にとって「行かなければいけない場所」であったウェールズへの旅に出かけます。

 桜井さんのウェールズ旅の軌跡を、歴史の解説とともに綴った、新しいカタチの「歴史エッセイ」で若いときには気づかない発見や感動を…。

 シニア世代だからこそ得られる喜びと教養を堪能してください。

 さあ、『シニア特急』の旅をご一緒しましょう!

【前回までのあらすじ】

 ウェールズの大聖堂「セント・デイヴィッズ」にゆかりの深い『ジェラルド・オブ・ウェールズ』の本を日本人向けに出版した桜井氏は、「セント・デイヴィッズ」を訪れ、その著作を寄贈することを夢見ていた。

 飛行機、列車、バスを乗り継ぎ、無事に目的地である大聖堂「セント・デイヴィッズ」のある街、セント・デイヴィッズに到着。

 神聖なる大聖堂では、ジェラルド・オブ・ウェールズの石棺に出合い、ジェラルドについて記した自著を大聖堂「セント・デイヴィッズ」へ献上。ついに念願を果たすのだった。

 翌日は、ペンブロークへ。ペンブローク城内巡りを堪能し、一夜を過ごした後、来た道を遡り、最初に宿泊した街カーディフへ再び到着。

 カーディフでは、「カーディフシティホール」を訪れ、新著の資料として、置かれているウェールズ史の英雄11体の像を撮影する目的がある。許可を得て撮影も無事終了し、カーディフ城へ。城内を見学し、キープ(天守)からカーディフの町並みを眺めながら、終わりが近づいた旅に思いを馳せるのだった。

→前回(37回)の記事を読む

カーディフ城の門

カーディフ城の門

* * *

X 英雄たちと黒ビール(5)

(2017/4/13 カーディフ)

●すごいパブ「デューク・オブ・ウェリントン」

 さて、昼も過ぎ、私は少々焦っていた。なぜって、カミさんに頼まれたリーキのバッジがスーベニアショップで売ってないのである。

 カーディフ城を見終わった私は、すぐに城門の前の通りを渡って向かいの土産物店のうちの一軒に入った。が、いくら探してもバッジが見つからない。店員に聞こうと思ったが、あいにくほかの客と取り込み中で少し待ったが全然終わらず、しびれを切らした私はもう一軒の店に入った。

 しかしいくら探しても、そこにもない。ここでは店員に聞くことができた。しかし店員いわく、いまはシーズンではない、置いてないと。

 シーズンって何だ?生のリーキならそりゃ収穫の旬もあろうが、バッジにシーズンなんて聞いたことがない。要するに単価があまり高くない土産品は置かないのだな、全く、と考えもしなかった展開に困ってしまった。ウェールズのシンボルであるリーキのバッジが売ってないなんて絶対ありえないと思い込んでいたのである。

 しょうがない。私は「ジュリーズ・イン」のイケメンスタッフがセント・ジョン・ストリートにも土産物屋があると言っていたのを思い出し、そちらにと向かう。

 だが、たぶんそのセント・ジョン・ストリートを歩いているだろうと思う私は、あちこち目を向けているのになかなか店を見つけられない。代わりに、とても雰囲気のいい赤レンガ造りの建物の一階にあるパブに遭遇した。

「Duke of Wellington」という店。

 ここを見つけたとたん、たまらない空腹感とビール渇望感にどっと襲われた私は、気がついたら店の中に入っていた。

 カウンターの中の長髪の若いおニイさんにまず「コッド・アンド・チップス」を注文する。するとこのおニイさん、何かすごい、強烈な訛りの英語で私に言ってきた。

 性格はとても良さそうな、善良そうなおニイさんなのだが、しかし彼の英語は私には全く聞き取れない。ただ、カットという単語は辛うじてわかったので、これは鱈(cod)のフライを切るか切らないかと聞いているのだなと、勝手に解釈し、ノーカットと答えておいた。

●ブレインズ・ブラック万歳!

 次にビールである。

 私はウェールズに来てからずっと「ダブル・ドラゴンズ」を飲んでいる。で、ここでもそうしようと思っていたところ、カウンターの上に”BRAINS BLACK Finest Welsh Stout”という小さなPOP(広告パネル)が置いてあった。そういえばウェールズに来てから全く黒ビールを飲んでないことに気がつき、その「ブレインズ・ブラック」をワン・パイント頼んだ。

 おニイさんがまたすごい英語で、たぶんビールとコッド・アンド・チップスを持っていってやるから、どこかのテーブルで待っててと言ったようだったので、私は窓際に丸い2人用のちょうどいいテーブルを見つけて座った。

 しかし、と落ち着いたところで考える。

 リーキのバッジが買えないと大変だ。カミさんは今度計画しているウェールズ料理関連のイベントで、そのピンバッジを参加者に記念品として配るつもりでいる。もちろんなくても差し支えはないが、でもあればそのイベントの印象度がやはり違う。

 せっかく亭主がウェールズに来ているわけだから、買って帰るに越したことはない。この店にもフリーWi-Fiがあるので、私はメッセンジャー(Facebookの通信ツール)で今のところバッジはまだ見つかってないと伝える。

 なければいいよとカミさんの返事が来る。でも私は何とか見つけたい。

 そうこうしているうちに泡が落ち着いたパイントグラスの黒ビールが来たので、私はとりあえずグイッとやる。

 えっ、何だ、うまい!とてもうまい!!こんな美味しい黒ビール、飲んだことない!

黒ビール「ブレインズブラック」

 それは甘く、そしてもちろん黒ビールらしく苦く、コクがあって、しかし爽やかだ。私は、黒ビールはギネス以上のものはないだろうとずっと思っていた。世の中にはいろいろな黒ビールがある。もちろん日本のメーカーのものも。しかし、どれとしてギネスを凌駕する黒ビールはない。それは私にとっては確信に近かった。このブレインズ・ブラックを口にするまでは。この黒ビールに出会えただけでも私の旅は値打ちがある。

 じゃあ、その上ジェラルドに出会え、本を奉納でき、新著に載せるための英雄像の撮影をも許された私のこのウェールズ行は、一体どれほど値打ちがあるのだろう。旅は人を変えるとよく言われるが、やっとこの歳になって自分を変えられるであろう旅をしている。

 そんな想いに覆われていたとき、さらに一つ、「値打ちもの」が加わった。コッド・アンド・チップスがテーブルに届けられたのだ。ノーカットの。

cod&chips(デューク・オブ・ウェリントン)

 それは過去に食べたどのフィッシュ・アンド・チップスよりも香ばしく、美味しく、量があった。モルトビネガーをたっぷりかけて、いただいたのはもちろんである。

→つづき(第39回)を読む

→このシリーズのバックナンバーを読む

桜井俊彰

桜井俊彰(さくらいとしあき)

1952年生まれ。東京都出身。歴史家、エッセイスト。1975年、國學院大學文学部史学科卒業。広告会社でコピーライターとして雑誌、新聞、CM等の広告制作に長く携わり、その後フリーとして独立。不惑を間近に、英国史の勉学を深めたいという気持ちを抑えがたく、猛烈に英語の勉強を開始。家族を連れて、長州の伊藤博文や井上馨、また夏目漱石らが留学した日本の近代と所縁の深い英国ロンドン大学ユニバシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)の史学科大学院中世学専攻修士課程(M.A.in Medieval Studies)に入学。1997年、同課程を修了。新著は『物語 ウェールズ抗戦史 ケルトの民とアーサー王伝説 』(集英社新書)。他の主なる著書に『消えたイングランド王国 』『イングランド王国と闘った男―ジェラルド・オブ・ウェールズの時代 』『イングランド王国前史―アングロサクソン七王国物語 』『英語は40歳を過ぎてから―インターネット時代対応』『僕のロンドン―家族みんなで英国留学 奮闘篇』などがある。著者のプロフィール写真の撮影は、著者夫人で料理研究家の桜井昌代さん。

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