2020.01.23    1

兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし【第25回 はじめてのハローワーク】

 ライターのツガエマナミコさんは、若年性認知症を患う兄と2人暮らし。病気がわかった後も会社勤めを続けてきた兄だったが、ついに退社することに。今後の生活を見据えて、引越もし、病院へも付き添い…と日々兄を支えるツガエさんだが、厳しい現実に直面することも多いらしく。

「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。

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失業保険は、たぶん出る…

 「離職票」が届いたのは兄が会社に行かなくなって3か月が経った頃でございました。退職金や障害基礎年金と同じように失業保険もいただけないのではないかと半ば諦めておりましたが、「失業保険はたぶん出る」と社長様からご連絡をいただき、待ちに待った離職票でございます。

 さらに、ほぼ同時に小振りな段ボールが会社から届きまして「え?何かお餞別的なものかしらん。ご迷惑をかけたのに申し訳ないわ、もうオホホ」とわたくしの強欲ランプが点灯いたしました。ところが、宅配の送り状を見ると、「エプロン、ジャンパー、傘、文房具他」と書いてあり、会社のロッカーにあった兄の私物だとすぐに察しがつきました。

 この時、己の強欲を恥じたと同時に、他人事ながら「ああ、本当にやめたんだ」と寂しい気持ちがいたしました。ある意味、離職票のような事務的な紙切れよりもズシンとくる「お別れ」であり「おしまい」のお知らせでございます。本来ならばこちらから片づけに行かなければいけなかったのですが、「休職扱い」がいつ終わったのかタイミングがつまめないまま向こうから段ボールが届いてしまいました。

 つまり兄が何十年も通い、わたくしも何度か皆さんと語らったあの会社から、とうとう兄の痕跡がきれいさっぱり消えたのでございます。ヨヨヨ…。

 兄上、長い間おつかれさまでした。もう、あの会社には戻れません。今度、きちんとご挨拶に行きましょうね。

 兄は段ボールを抱えて部屋に入り、しばらく中身を確認しておりました。何を見て、何を思ったかはわかりませんが、その日は少し兄に優しくした妹でございます。

 ハローワークに行ったのは、それから10日後ぐらいでしょうか。失業保険のシステムをまるで理解していないわたくしは、ハローワークに電話をし「会社から離職票が届いたんですけど、どうしたらいいですか?」と言って、ご享受を賜りました。すると、届いた時点ですでに退職日から数か月経っていたので「明日にでも来た方がいいですよ」と言われ、「え?」となりました。「6か月以内の写真がないっ!」となって急きょ兄を連れて駅前の証明写真機で写真を撮るなどバタバタしながら、翌朝一番ですっ飛んで行きました。

 生まれてはじめてのハローワーク。「比較的空いている」と言われた朝8時半のビル内は、本当に人影まばらでございました。「職安」と呼ばれていた時代の暗いイメージが付きまとう昭和生まれでございますため、だいぶ警戒して行ったのですが「なんだ区役所と同じじゃん」と胸を撫でおろしたのが第一印象でございます。

 受付のお姉さまに「失業保険の手続きで…えっとはじめてなんですけど」と告げると、非常に無駄のない早口で手順を説明され、「終わりましたら〇番窓口に書類を入れてお待ちください」と無表情のまま言われました。

 ニッコリしてほしいと思うのはお門違いだと思いますが、もう少しゆっくり言えないものかと心の声が唸りました。まして“精神障害者手帳”を確認していながらの所業。健常者の部類であるわたくしでも情報量パンパンでございました。

 待合ソファには2組しかいないのに待つこと約20分。障がい者雇用専門の担当者なのか、落ち着いた年配の男性が奥から静かに到着され、苗字で呼ばれて窓口へ。

 さて、兄は本当に失業保険がいただけるのか。いったいいくらいただけるのか。そんなわくわく感に包まれる一方で「書類に不備はなかったか」「あくまでも仕事を探している風に装わないといけない」という緊張感もあり、わたくしは久々に面接を待つ受験生のようにザワザワしておりました。

 兄は病院の待合室と同じようにぼうっと受け身の体勢を取っております。ここに何をしに来ているのかはうっすらわかっている程度。失業保険をもらおうと必死になっているのは間違いなく「本人」ではなく「わたくし」でございました。

つづく…(次回は1月30日公開予定)

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文/ツガエマナミコ

職業ライター。女性56才。両親と独身の兄妹が、5年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。現在、兄は仕事をしながら通院中だが、病院への付き添いは筆者。

イラスト/なとみみわ

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第1回 これからどこへ引っ越すの?
第2回 安室ちゃんは何歳なの?
第3回 この光景見たことある
第4回 疑惑から確信へ
第5回 今日は会社休み?
第6回 今年は何年ですか?
第7回 アパート借りっぱなし事件
第8回 アパートはゴミ屋敷
第9話 全部処分していい
第10回 で、どうすりゃいいの?
第11回「奥さん」じゃないんですけど…
第12回 たびたび起こる出社拒否
第13回 退職金が出ない!?
第14回 兄の焼肉病
第15回 社長様のお説教
第16回 住所が書けない
第17回 マンション買い換え
第18回 引越しは大格闘スペクタクル
第19回 兄、新居を覚える
第20回 認知症は世間話が上手?
第21回 兄、会社を休職
第22回 さようなら障害年金
第23回 はじめての「家族の会」
第24回 犬を飼う

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  1. SENJI KANAEDA 金枝宣治 より:

    私は1958年生まれ。おそらく貴方のお兄さんと同じ年齢でしょう。3つ下の弟が母亡きあと十年間、認知症になった父を九州大分から大阪に引き取り、亡くなるまで義理の妹(弟の奥さん)と甥っ子とともに面倒をみてくれました。そのせいが多分にあるのですが、弟以外との関係は途絶えてしまいました。私は母がなくなる少し前から渡米し17年になります。お寺の跡取りではなく自ら出家得度した僧侶で、独り身ですからもし日本にいれば父親を引きとることは可能でした。とまれ貴方の手記を読み始めてとまらなくなり、今朝はお勤めに起こされたほどです。いま伝えたいのは、血のつながりはなくともまわりに認知症が始まった友人(地元の米国人)がいて、参考にしたいこと、それと貴方のご苦労を身をもって分かち合うことはできませんが、先行きを案ずるとどうじに心の中で支援したい、少なくとも愛読者でありたいと願っております。小生も住む場所こそ保証されているものの、もとより定期収入はなく選んだ道とはいえ文字どおり裸一貫です。物忘れが多いのは若い頃からですが、自分がお世話される身、あるいは野垂れ死にするやも知れません。覚悟のうえでのほほんと生きているのですが。「頑張って」という言葉をかけると「これ以上どう頑張ったら良いのか。」とおしかりを頂戴しそうですが、貴女は女性ならではのタフネスをお持ちのようです。何より御身体を大切にされ、兄さんを日々お世話されますことを願っています。定期的に何らかの息抜きができればよいですね。    合掌 

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