2018.02.02 |暮らし   

85才、一人暮らし。ああ、快適なり「第13回 老作家が描くエロスの凄み」

 伝説の雑誌『話の特集』の編集長を創刊から30年にわたり務めた矢崎泰久氏。その手腕は、雑誌のみならず、映画、テレビ、ラジオのプロデューサーとしても発揮されている。

 世に問題を提起する姿勢を常に持ち、今も執筆、講演活動など精力的に続けている。。

 先月、誕生日を迎え、85才になったばかり。自ら望み、一人で暮らすそのライフスタイル、人生観などを矢崎氏に寄稿していただく、当サイトのシリーズ連載のタイトルも、一つ年を重ねることとなった。

 今回のテーマは、「老作家の性描写」だ。谷崎作品など名作を読み直し、今、改めて気づく感動があると語る矢崎氏。老いてからこそ読み解ける作家の真意に迫る。

 悠々自適独居生活の極意ここにあり。

老いたからこそ気づく楽しみがある。食事もそのひとつ

 * * *

年をとってから気づくエロス

 またまた新しい楽しみを発見して、このところわくわくしている。

 それは老人になってから書かれた名作を読んだことに起因している。もちろん今では古典とされている『瘋癲(ふうてん)老人日記』は、谷崎さんが77歳の時に執筆された作品だ。

 発表された時に、猥褻(わいせつ)すぎると国会で取り上げられた話題作でもあったのだが、谷崎さんの年齢をかなり越えた私には、感動と共に、ある種の驚きがあった。

 つまり、老人になってから読み返してみると、以前読んだ時とは、まったく違った解釈が出来る。エロティックと思えていた部分との裏側に、マゾヒスティックな描写が隠れているのだ。エロスと嗜虐の交差が身に迫ってきて、凄味さえ覚えた。

 おそらく若い作家だったら書けなかっただろうし、読み手も若ければ気付かなかったに違いない。そういう個所が至る所に出て来るのである。

 残念ながら、私が手にした文庫本は、旧カナを新カナに直してあり、その為に時代の空気がいささか歪められている。

 すでに性的能力を失っている主人公が、息子の嫁に恋心を抱くという設定は、物語が進むにつれて、息苦しい展開となる。まさにフランス文学に登場する心理小説の趣きすら垣間見えてくる。

 私自身に照らせば、好色に熱心でなくなっても、性欲は衰えるものではない。実行性に欠けるために、どうしても想像力に頼るわけだが、テンションは高いままだ。それがマゾヒスティックに移行するのは十分考えられる。

 若い頃に読めば、変態としか映らないかも知れず、ロマンを汲み取るだけの読解力は持てないだろう。同じ作品であるにもかかわらず、読む側の年令によって、大きな差異を生じるに違いないのだ。

『瘋癲老人日記』は、永井荷風の『濹東(ぼくとう)奇譚』や川端康成の『眠れる美女』にも通じているように思える。老作家にして、初めて描くことの出来るエロス豊かな性が表現されている。

 私は読書好きだから、多くの古典文学と接して来たが、作家の立ち位置について、あまり重く考えたことはなかった。これまで、どうしてそのことが気にならなかったのかが不思議でならない。

三島由紀夫の執筆スタンス

「作家の立ち位置」を考えるようになったこの頃

 三島由紀夫が、創刊間もない『話の特集』(1966年7月号)に『わたしのきらひな人』というエッセイを執筆している。自分が将来老作家になるとしたら、文士として2つの相反する型(タイプ)のどちらかに属するかとした上で、

「私は荷風型に徹するだけの心根もないから、精神としては荷風型に近く、生活の外見は谷崎型に近い、といふ折衷型になることであろう」と、書いている。

 これはなかなかの卓見であって、しかも老年まで作家生活を送るであろうという考えを披瀝(ひれき)している。もちろんそれは叶わなかったが、暗に小説家としての晩年を予測して、当時の荷風さんと谷崎さんを挙げていた。三島さんの執等時のアーティストとしてのスタンスが見てとれる。

 作品が残っている作家と、すっかり消えてしまっている作家とを比較して見ると、文学への覚悟の差が、自ずと出ているような気がしてならない。夏目漱石、森鴎外、幸田露伴、島崎藤村、山本周五郎、藤沢周平と現在も文庫になったり、全集が売られている作家たちを、年令別の著作として整理して、改めて読んでみようかと思う。

 いつの間にか、私は年齢的にはいろいろな方々を追い抜いて今日に至っている。谷崎さんは79才、永井さんは80才で他界した。死の直前まで原稿を書いていたことと、前の日に大食いした記録が二人に共通して残っている。

 谷崎さんは亡くなる10日前に妻の眼を盗んで、お気に入りの若い女中を連れて外出(デート)を試みて失敗している。とにかく、美食家だった。

 永井さんは

「一、余死する時葬式無用なり。死体は普通の自動車に載せ直(ただち)に火葬場に送り、骨は拾うに及ばず。墓石建立亦無用なり。新聞紙に死亡広告など出す事元(もと)より無用。
一、葬式不執行の理は御神輿(おみこし)の如き霊柩自動車を好まず、又紙製の造花、殊に鳩などつけたる花輪(はなわ)を嫌うためなり」

と、遺言に記していた。

 しかし、文化勲章受章者であったため、天皇から祭祀料(さいしりょう)が出て、仏式葬儀が行われ、雑司ヶ谷墓地に墓も作られている。

 生涯独身だったが、遺産は現金で2300万円以上もあった。当時の大学卒公務員の初任給が1万円だったから、大金を残したことになる。

 三島さんは、45才の1970年11月25日午前11時ごろ、「楯(たて)の会」の4人の青年を連れて、東京・市ヶ谷の陸上自衛隊に侵入、自衛官約800人を前に総監室のバルコニーから檄文(げきぶん)をまき、演説をした後、割腹自殺を遂げた。

 三島由紀夫の著書は今も全作品が、ほぼ日本全国の書店で買える。今後も読み続けられるに違いない。

【このシリーズの他の記事を読む】

第1回 そもそものはじまり
第2回 老いはするが老人にはならぬ
第3回 自由って何だろう
第4回 おいしい生活
第5回 通院の帰り道
第6回 好色のすすめ
第7回 夢の続き
第8回 耽るということ
第9回 テレビの功罪
第10回 遊び

第11回 ギャンブル好き
第12回 便利は復讐する
第13回 老作家が描くエロスの凄み
第14回 スマホって何だろう

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矢崎泰久(やざきやすひさ)

1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。

撮影:小山茜(こやまあかね)

写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。

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