2018.02.16 |暮らし    2

85才、一人暮らし。ああ、快適なり「第14回 スマホって何だろう」

 1965年に創刊し、才能溢れる文化人、著名人などが執筆し、ジャーナリズムに旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』。この雑誌の編集長を30年にわたり務めたのが矢崎泰久氏。彼はまた、テレビやラジオでもプロデューサーとして手腕を発揮、世に問題を提起し続ける伝説の人でもある。

 齢、85。歳を重ねてなお、そのスピリッツは健在、執筆や講演活動を精力的に続けている。ここ数年は、自ら、妻、子供との同居をやめ、一人で暮らすことを選び生活している。

 そのライフスタイル、人生観などを連載で矢崎氏に寄稿してもらう。

 今回のテーマは「スマホ」。スマホに夢中になる人々を見て、思うこととは?

 悠々自適独居生活の極意ここにあり。 

ひねくれ者を自認する矢崎氏がスマホに思うこととは

 * * *

「イットの時代」と言った某総理大臣

 このところ私はスマホに脅えている。私が今利用しているのは、ガラケーと呼ばれる機種で、携帯電話のパイオニア的な存在である。

 それでも、機能の5%も私は活用していない。日常的には電話とメール以外には必要ないからだ。

 ところが最近、毎日のように契約先のKDDI(au)から、「スマホに買い換えませんか」と、誘惑されている。時には「今がチャンスです」と急かされる。

 いかに素晴らしい物であっても、使いこなせないという不安にずっと取り憑かれているから、私は色良い返事は絶対にしない。

 とにかく周囲の皆さんは、ほぼ全員がスマホである。チラッと見ると、実にすばっしこく操っている。瞬間的にピピピ、パパパという感じなのだ。次々に画面が変化し、しかもオール・カラー。ハタ眼にはなかなか楽しそうである。

「スマホデビューしなさい。時代に取り残されるよ」と、忠告する友人すらいる。

 指先が痺れてるとか、間違えてタッチするに違いないとか、私にはとうてい手に負えないなどとグズグズ言っても、誰も取り合ってくれない。しまいには怒り出す相手もいて、いっそ携帯電話界から撤退しようかとすら思う今日この頃なのだ。

 かつてはワープロにもパソコンにもチャレンジしたが、私にはどうにもしっくりこなかった。折りしも、当時の森喜朗という総理大臣が記者会見の場で、得意そのものに、

「これからはイットに時代です」と、やった。IT(アイティ)を紹介するに及んでイットとは何んだ。コンピューター文化に嫌気がさしたのは私だけではあるまい。

 もともとひねくれ者だから、世の中のほとんどの人がスマホの虜になっている様子を見るにつけ、残りのたった一人になろうともスマホは持つまいと決心するようになったのだ。

 スマホに敵愾心(てきがいしん)を抱くと、電車の中や喫茶店などでスマホに熱中している人に憎しみを持ったりするから不思議だ。

「便利に頼っていると、いつか復讐される日が来るに違いない」と、悪態を口にして喜ぶ癖が最近ついてしまった。

 このままではただの偏屈な老いぼれになってしまいかねない。少なくとも、争いの種を自分で作って、バラ蒔いている気がする。

 そこで反省を兼ねて、スマホに夢中になっている人に会うと質問を試みることにした。

「スマホって何」と、問う。

 これが結構遊べることを発見したのだ。

 まずスマホ人に、正面から教えを乞う姿勢を示す。たいていの人は熱心に、いかにスマホが素晴らしいかを説明してくれるのだった。

「ふーん、凄いね。そんなことも出来るんだ。で、これに触れると何が出て来るの?無料でいろいろな検索が可能なことは素晴らしいと思うけど、確認するにはどうしたらいいの?びっくりしたな、どんなサービスだって受けられるね。情報が必要な時はこっちの知識も大切かもね」

 実はだんだん相手になっていることが負担になってくるように見える。そんな気配を感じたら、すかさず、

「やっぱり俺には無理だね、とても操作を覚えられない」と、突然身を引く。そもそもがスマホは実用品であり、遊びの世界へも招いてくれるらしい。つまりキリがないアイテムであることが明白になってくる。

 そこで再び哲学的な質問に近い、「スマホって何」に立ち戻る。

 誰もが二度と私にスマホを持てと言わなくなる。私が改めてスマホに向いてないことを相手も思い知ったらしい。

ピパポに背を向けて、スローライフに徹する

原稿執筆は手書き。パソコンもワープロもやらない

 世界中のほとんどの人がスマホに魂を奪われている現実を、違う視点から冷静に受け止めると、何か大きなチャンスが到来しているようにも思えてくる。

 今流行(はやり)のポピュリズムとも関係がありそうだ。誰もが、ピパポとやっていることに背を向けて、スローライフに徹するのも悪くない。

 どうもITが蔓延してからと言うもの、世の中が落ち着かなくなっているような気がしてならない。何が起きるかわからないといった不安が身体のどこかに潜んでいる。

 電化製品が初めて登場した時代には、庶民が殺到し、年賀ハガキの景品になった。日本がなんだか浮き足立った感じがした。

 いつかスマホよりもっと便利なものが誕生しそうな気配すらある。あるいは、人間は何をしなくとも、全部ロボット任せな時代がやってくるのだろうか。

 世の中に遅れを取っているだけなのかもしれないが、スマホの流行は私を不安にかり立てる。つまり、とうていついて行けないという疎外感が全身を覆っているようだ。文化文明は進歩発展して止まることがない。

 それが不気味でならない。そんなこんなで、あたふたしながら、スマホ拒否がどこまで続けられるか、試練の日々を味わっている。ヘルプミー!!

→このシリーズの次の記事を読む
85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第15回 不倫スキャンダル】

【このシリーズの記事を読む】

第1回 そもそものはじまり
第2回 老いはするが老人にはならぬ
第3回 自由って何だろう
第4回 おいしい生活
第5回 通院の帰り道
第6回 好色のすすめ
第7回 夢の続き
第8回 耽るということ
第9回 テレビの功罪
第10回 遊び
第11回 ギャンブル好き
第12回 便利は復讐する
第13回 老作家が描くエロスの凄み
第14回 スマホって何だろう
第15回 不倫スキャンダル
第16回 明治維新と向き合う
第17回 無駄遣い
第18回 ラブレター
第19回 老いらくの恋
第20回 料理人(シェフ)はアーチスト
第21回 エロティシズム礼賛

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矢崎泰久(やざきやすひさ)

1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした「泰久塾」を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。

撮影:小山茜(こやまあかね)

写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。

【関連記事】

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●『九十歳。何がめでたい』1万通超の読者ハガキにみる人生訓

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▶コメント

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  1. yo より:

    矢崎様
    イチロウ様

    デジタル認知症なる言葉、初めて目にしました。
    すごい言葉ですね^^
    恐ろしいですね。
    しかしそういった言葉、知識を80歳超えても学び続けておられる
    その姿勢を見習いたいと思います。

    ところで、あなた方はいくつのころから自動車の運転を覚えられましたか。
    固定電話やガラケーを使われるようになられましたか?
    生まれたときから、紙とペンと使えましたか?
    シャーペンは?

    申し上げにくいのですが、こちらの記事は
    「トシトッタカラ オボエタクナイ」というお話にしか見えません。

    生まれたときから日本語を書くことができましたか?
    漢字を知っていましたか?
    「スマホ、これはもう俺の生活に必要ない」って切り捨てる言い訳を
    上手に覚えただけにしか見えません。

    いずれ私もそうなるのかもしれませんけれど、今はそう思います。
    なお私は1982年生まれです。

    スマホなんて、間違えたって怪我しません。
    所詮道具は道具、ハサミと一緒です。
    使いたくなければ使わなければいい。
    使いにくそうだと思うなら使いやすいものが出るまで待てばいい。

    一方で「スマホをつかいませんか」という商売ベースの言葉は
    あと5年はほっといたほうがいいとも思います。
    5年したら誰でも使えるものが出ているかなーと思ったり。
    (昔の自動車はガソリン1リットルで1キロも走らず、乗り心地もひどいものにして
     非常に高級だったのと同じく、スマホもきっと使いやすくなります)

    実は私、スマホを売る仕事をしていたのですが、
    お客様の中には、80超えてからスマホを使い始めて、それで楽しんでくれる人はいます。
    (今でも二人は、ライン友達になっております。)
    (ラインは、ようはおしゃれな電子手紙ってことですよ。)
    しかし50歳代でも、スマホを使いこなせなくてガラケーに戻す人もいます。
    ひとそれぞれです。

    そして、こういう主張をしておいてなんですが、私自身は、スマホで電話していません。
    電話をかける時は、すべて固定電話またはガラケーと言われる携帯電話しか使いません。
    スマホとタブレットを所持しているのですが
    その使用率の内訳は、ゲーム7割、地図2割、メール1割といったところです。

    連載を拝見させていただき、そこから学ばせていただく点も
    (嫌味などではなく)たくさんありましたので
    投稿させていただきました。
    お目汚しの駄文で失礼いたしました。
    末筆になりましたが、お体ご自愛ください。

    0

  2. イチロウ より:

    スマホ嫌いに激しく同感。 熱中していると、過度なスマホ依存で脳機能が低下し、デジタル認知症になります。

    ただし、私のスマホ嫌いは、少し理由が相違します。 

    私個人と現役時の業務には、ワードやエクセル等のソフトの技能とともにPCが必須でしたので、自宅にも数台のPCを置き日々利用していまして、それとの対比でスマホには高得点を与えることが出来ないのです。 

    例えば、外国のHPを見ながら、辞書を参照する等、或は、Wordで文書を作成しながら、各種の統計と参照先HPを検索する等の複数作業の同時進行が、あの小さい画面のスマホでは不自由ですし、このコメントを書きながらしているように、BBC3でクラシックを聴きながら文書等の作成も出来ません。 音楽聴取の折には、PCに外部スピーカーを取り付けて聞かなければとても聴取には堪えないからです。

    でも、PCやスマホ等機器の特質はさておき、ネット(インターネット)は人間の生活を利便性の高いものにしたのには間違いがありません。

    その昔、英国BBCの聴取には、短波受信機と屋外アンテナが無ければ安定した放送聴取は不可能でしたが、今日では、短波放送どころか、TVの放映であってもPCがあれば視聴が可能です。 その昔には、雑音に悩まされて真面に聴けなかったアイスランドを始めとする北欧諸国の放送も容易に聴取可能になりました。 ネットのおかげで世界が小さくなったのかも知れません。

    とは言っても、幼稚な短文を綴るしか能が無い己を晒す結果になってはつまらないので、用心にこしたことはない、と自戒しております。 皆様、そのためにもスマホにはご用心。

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