2020.06.25   

兄がボケました~若年性認知症の家族との暮らし「第47回 兄、とてつもなく暗くなる」

 ライターのツガエマナミコさんは、若年性認知症の兄と2人暮らし。仕事を辞め、ずっと家にいる兄の生活サポートを続けながら仕事をする日々だ。そんなツガエさんが兄との生活で起こるさまざまなことを綴る連載エッセイでは、ツガエさんの心の機微も明かしている。家族といえども、兄のお世話にはいろいろと思うところはあるようで…。

「明るく、時にシュールに」、でも前向きに認知症を考えます。

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私の社会貢献は“兄との暮らし”!?

 唐突ですが、わたくしはボランティアというものに参加したことがございません。この数年、大きな災害が多発しましたので、わたくしも「何かしたい」と思い、役所のホームページを調べたことがございます。でも「今度こそ」と思い、比較的近い被災地での募集を見つけたときも結局「兄がいるから」と二の足を踏んでしまったのです。

“行けない言い訳をするような奴は、結局行かない。本当に行こうという志がある人は、何があっても行くんじゃボケ”と心得ております。だからこそ、兄を言い訳に行かない自分を責めてまいりました。しかし、ふと、「それぞれがそれぞれの場所で、できることをできる範囲で」というボランティアの本質ともいえる言葉を目にして、被災地に行くことにこだわる必要はないと思いはじめました。

 それどころか、とてつもない拡大解釈を独自で推し進め、なんと、わたくしがわたくしの場所でできるわたくしのボランティアは“兄の面倒をみることだ”という見解にまでたどり着き、ついには“兄と暮らすことはわたくしの社会貢献だ”と思い込むことに成功いたしました。

 もしもわたくしが嫁いでいて、いろいろな事情で兄の面倒どころではなかったら、兄は世間様にどれだけのご迷惑をおかけすることになるでしょう。それが回避できているのであれば、わたくしの今この瞬間も立派な社会貢献。被災地に飛んでいけなくても、充分に世のため人のためになっているんだ!…と。

 いやいや…、これは面倒くせぇ、何言っちゃってんの?でございましょう。しかし「兄妹だから面倒みるの当たり前でしょ」という世間様の理屈だけでは気持ちが行き詰まるばかり。こうやって屁理屈をこねくり回してでも、うまく自分をだまさないと「なんでわたくしばっかり。妹なのに…」となってしまうときがあるのです。

 兄にイラっとすることは本当に些細なしょうもないことでございます。例えば、わたくしの顔色をチラチラうかがう気配や、困ったときにわたくしの指示を待つ小首をかしげる態度などがその代表例。「口で聞けば?」とか「いい歳してかわい子ぶって」とブツブツブツブツ…。

 加えて「どうして?」と問いかけたくなることが多発しております。例えば夕方、カーテンを半分しか閉めないとか、ハサミが箸立てにささっているとか、サンダルは認識しているのに躊躇なくスリッパのままベランダに出るとか、トイレットペーパーの芯を部屋にため込んで捨てないとか、パンの空き袋がトイレにあるとか…。WHY?兄。

 でも「ねぇ、これどうして?」と聞いても、「エ?ボク?」という顔をされ、その顔にとても腹が立つことと、指摘したところですぐに忘れてしまうと学習したので、すっかり諦め、しりぬぐいに徹しております

 このように兄に対しては毎日、文句タラタラなのですが、それは兄がノーテンキでいてくれるからこその文句であることも、ここに付け加えなければなりません。というのも先日、兄がとても暗かったのです。朝、部屋から出てくるなり、椅子に座りテレビを点けたものの、背中を丸め、眉間にしわを寄せて、点けたテレビを見るでもなく、ワイドショーの笑い声が空しく宙を舞っていたことがありました。兄に元気がないことでいかに重苦しい雰囲気になるかを目の当たりにし、「どっか具合悪いの?」と聞きながら「早くいつもの兄になってくれ~」と祈ってしまったのです。いつもの兄をあんなに見下していたのに、まったく現金なものです。

 その日の兄は、お腹が痛かったのか、頭が痛かったのか、結局わかりませんでしたけれども、いつの間にか回復して、お昼にはワイドショーに食い入って一喜一憂する“いつも”が戻って、心底ほっといたしました。まさに「失って気づくありがたさ」というやつでございます。

 日々に文句は尽きなくても、あの真っ暗な雰囲気をまき散らされるよりは何倍もいい。物忘れはひどくなっても、持ち前の明るさは忘れないでほしいと祈る妹でございます。

つづく…。(次回は7月2日)

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文/ツガエマナミコ

職業ライター。女性57才。両親と独身の兄妹が、6年前にそれぞれの住処を処分して再集合。再び家族でマンション生活を始めたが父が死去、母の認知症が進み、兄妹で介護をしながら暮らしていたが、母も死去。そのころ、兄の若年性認知症がわかる(当時57才、現61才)。通院しながら仕事を続けてきた兄だったが、ついに退職し隠居暮らしを開始。ハローワーク、病院への付き添いは筆者。

イラスト/なとみみわ

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