2020.06.30   

高木ブーだけが知ってる「僕といかりや長介さんの絆」【連載 第20回】

「長さんが『ドリフに来ないか』と声をかけてくれたから、今の自分がある」と高木ブーさんは言う。人生の恩人であり、ともに戦ってきた仲間であり、厳しくて怖いリーダーだったいかりや長介さん。ご遺体と対面したときには、思わず「バカヤロウ」と言ってしまったという。特別な絆で結ばれた“戦友”について語ってもらった。(聞き手・石原壮一郎)

亡くなった知らせを聞いたときは心が空っぽになった

高木ブーさん

いかりや長介さんとの思い出を語る高木ブーさん(撮影/菅井淳子)

 いかりや長介さんが旅立ってから、今年で16年か。あっという間だね。事務所から「長さんが亡くなりました」という知らせが入ったときは四国にいて、高嶋ちさ子さんや軽部真一アナといっしょに「めざましクラシックス」っていうコンサートに出てたんだよね。病気だって話は聞いてたけど、まさかそんな状態だとは思ってなかった。まだ72歳で若かったしさ。

 出番が終わったらすぐ空港に向かって、東京に戻ってきた。頭が真っ白になったっていうか心が空っぽになったっていうか、飛行機に乗りながら何を考えてたのかはよく覚えてない。僕にとって長さんは、グループのリーダーとか仕事仲間とかそういうのを超えた特別な存在だった。

 1964(昭和39)年に、それまでの「ザ・ドリフターズ」のメンバーがまとめて抜けちゃって、長さんと加藤(茶)が残った。あわてて新しいメンバーを探さなきゃいけなくなって、ほかのバンドでギターを弾いてた僕に「ドリフに来ないか」って声をかけてくれたんだよね。前にも話したけど、ずいぶんたってから、なんで僕だったのか聞いたら「デブだったからだよ」だって。自分ではギターの腕を買われたと思ったのに、それは関係なかった。

→高木ブーが明かすドリフ加入の本当の理由

 でも、ドリフが『8時だョ!全員集合』で人気が出て演奏はめったにやらなくなってからも、長さんはいろんなところで「ドリフのメンバーで音楽的にいちばんしっかりしているのは高木ブーだ。基本ができてる」って話してくれてたらしい。まあ、比較の対象がどうなのかってことはあるけど、評価してくれてたのは嬉しかったな。

ザ・ドリフターズのメンバー

写真提供/イザワオフィス

 新しいメンバーでやっていくぞってなったときに、新宿の中華料理屋さんで決起集会みたいなのをやったんだよね。そのときに長さんが「何があってもこのメンバーで行く。俺から『辞めろ』とは絶対に言わない」って宣言した。その頃のバンドはメンバーが入ったり出たりするのが当たり前だったから、「この人すごいなあ」って感心したのを覚えてる。

 そのときのことは、長さんも自伝『だめだこりゃ』(新潮文庫)の中で書いてた。その本では「よく聞かれることだが、私はブーをやめさせようなんて一度たりとも思ったことはない」なんてことも書いてる。わざわざ書かなくてもいいのにさ。もちろん、長さんは誰よりも「ドリフには高木ブーが必要だ」と思ってくれていたのはわかってるから、べつに腹が立ったりはしないけどね。

雷様の姿をした仲本工事、いかりや長介、高木ブー

『ドリフ大爆笑』では、仲本さん(赤)、いかりやさん(黒)、高木さん(緑)がそれぞれ雷様のキャラクターを演じ人気を博した。(写真提供/イザワオフィス)

『8時だョ!』の頃は、放送が終わったあとにふたりでたまに飲みに行ってた。ほかのメンバーとは年齢が離れてるからね。お互いの家族のこととか音楽のこととか、そんな話題が多かったかな。愚痴めいたことをこぼしてたこともあった。僕にしか言えないもんね。みんなの前ではリーダーとして強気に振る舞ってたけど、そういうときは違う感じだったな。

 訃報を聞いて自宅に駆けつけたら、長さんが静かに眠ってた。顔を見た瞬間に、それまでのことがいろいろ蘇ってきちゃって、思わず「バカヤロウ」って言っちゃったんだよね。「バカヤロウ、なんで死んじゃったんだよ」って。なんでって言われても、長さんも困っただろうな。

 青山葬儀場で行なわれた葬儀のときは、メンバーや元付き人といっしょにお棺を霊柩車まで運んだけど、ずっしり重かったな。大勢で持っているから実際にはたいした重さじゃなかったかもしれないけど、僕には重かった。

高木ブーさんと高木や主人の松田ひろしさん

つけ麺やの店「高木や」のご主人松田ひろしさんと。松田さんは元ドリフの付き人だった。写真は1月に高田馬場店(現在は閉店、早稲田店は営業中)で取材したときのもの(撮影/菅井淳子)

 6月21日に放送された『志村友達 大集合スペシャル』の中で加藤も言ってたけど、やっぱり「ザ・ドリフターズ」の5人でやったコントは最高におもしろいと思う。長さんはずっと、自分も含めてドリフのメンバーは「笑いの素人」だって意識があったらしい。だから、いっさい妥協を許さずに、常に全身全霊をかけてコントを練り上げてきたんだよね。

 メンバーだった僕が言うのもヘンなんだけど、ザ・ドリフターズというグループは、いかりや長介というコントの鬼が丹精込めて作り上げた最高傑作だったんじゃないかな。荒井さんのときも志村のときもね。そこに加われたことは、僕にとっては最高の誇りだし、すごく幸せなことでした。長さん、あらためて本当にありがとう。

 最近知ったんだけど、長さんは元気だった頃に「ブーたんの『テネシー・ワルツ』を聴きたいな」って言ってたらしい。そんなの、早く言ってくれればいいのに。また舞台で歌えるようになったら、真っ先にやらせてもらいます。天国に向かって歌うから、ちゃんと聴いてくださいね。感想を聞かせてくれるのは、まだずっとあとでいいから。

「『8時だョ!』の放送終わりに長さんとふたりでたまに飲みに行ってた。ドリフに加われたこと、最高の誇りに思ってます」

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高木ブー(たかぎ・ぶー)

1933年東京生まれ。中央大学経済学部卒。いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。CD『美女とYABOO!~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』『Life is Boo-tiful ~高木ブーベストコレクション』(http://www.110107.com/s/oto/discography/DQCL-566?ima=1025)など多数。著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。毎週日曜日午前11時に新番組がアップされるYouTube「【WithBOO】雷様のウクレレ レッスン」(イザワオフィス公式チャンネル内 )https://www.youtube.com/channel/UCcEUYzjrepHbAe0ytBqKFDAも大好評!

取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)

1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。最新刊は「恥をかかない コミュマスター養成ドリル」。この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。

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