2020.11.10   

毒蝮三太夫、風変わりだった父との思い出「俺の毒舌はおやじ譲り」【連載 第30回】

 類を見ない独自の存在である「毒蝮三太夫」は、それぞれに超個性的だった両親によって作られた。前回の母親に続いて今回は父親のお話。「今思うと、あれはありがたかった」と感謝していることがあるという。最新刊『たぬきババアとゴリおやじ 俺とおやじとおふくろの昭和物語』が好調の毒蝮さんが、父親から受けた深い愛を語る。(聞き手・石原壮一郎)

新著『たぬきババアとゴリおやじ 俺とおやじとおふくろの昭和物語』(学研プラス)が大好評だ(写真/政川慎治)

結婚披露宴で司会の談志がおやじの挨拶をカットした理由

 ゴリラみたいな「ゴリおやじ」は、寅年の正月に生まれたから「正寅」。ずっと大工をやってた。いつも人を食った冗談ばっかり言って、よく言えばサービス精神が旺盛ってことになるんだろうけど、皮肉屋でガサツで頑固でマイペースなややこしい性格だったな。

法被を着た幼い毒蝮三太夫さんと並んぶ父

いつも冗談ばかり言っていた父・正寅さん。街中の人気者だったという(写真提供/毒蝮三太夫)

 そんなおやじが本領を発揮したのが、俺の結婚披露宴のときだ。当時まだ柳家小ゑんって名前だった立川談志に司会を頼んだんだけど、さすがの腕前で盛り上げていい披露宴にしてくれた。盛況のうちにお開きになって、ホッとしたところで気づいたんだ。そういえば、たいてい最後に新郎の父の挨拶があるけど、おやじが出てこなかったって。

 談志のヤツがうっかり忘れたのかと思ったんだけど、聞いてみるとそうじゃなかった。「だめだよ、あれは出せねえ」って言ってる。始まる前に談志は、おやじをつかまえて練習してみたらしい。「続きましては~」なんて言って「はい」って合図すると、おやじは真面目な顔をして「本日はお忙しい中、ご会葬くださいまして、誠にご愁傷さまです」ってぬかしやがった。緊張してるのかと思って、もう一回やらせてみると、また同じことを言う。

 談志は「これは、本番でもやる気だな」と思って、おやじの挨拶を割愛した。俺もカミさんもまわりも、誰も気が付かなかった。あとで「すっ飛ばしたけど、いいよな」と言ってたけど、もちろんいいに決まってる。披露宴がめちゃくちゃになるのを防いだ、談志のファインプレーだ。

 でもまあ、怒るどころかひと言も文句を言わなかったおやじも粋だったよ。新婚旅行に行く俺たちを羽田に見送りに来てくれたのを覚えてるけど、その話はぜんぜん出なかった。ごちゃごちゃ言うのは野暮だと思ってたのかもしれない。

江ノ島の海岸で父と並ぶ毒蝮三太夫

江ノ島に行ったとき。毒蝮さんが中学生の頃だ(写真提供/毒蝮三太夫)

 おふくろが死んだときも、夏の暑いときだったけどヒヤヒヤし通しだったな。お寺の本堂で住職がお経をあげてるときに、おやじが近寄ってって何か耳打ちしている。あとで聞いたら「暑いから短めにしてくれ」って言ったらしい。住職は「そんなこと言われたの初めてです」って驚いてた。「だから私は、たっぷりやりましたよ」だって。

中学生で役者になってからずっと好きにやらせてくれた

 そんなむちゃくちゃなおやじだったけど、つくづく感謝してることがある。俺が役者になったのは、中学1年のときに『鐘の鳴る丘』の舞台に出たのがきっかけだった。復員兵と戦災孤児が力を合わせて、彼らの家を建てようって話だ。主題歌の『とんがり帽子』は古関裕而さんの作曲で、ちょっと前にNHKの朝ドラ『エール』にも出てきたよな。

 ラジオドラマの大人気に気を良くしたGHQが、舞台化して全国巡業をすることにした。1948(昭和23)年のことだ。オーディションを受ける友達に頼まれて付き添いでいっしょに行ったら、俺のほうが合格しちゃった。アイドルのオーディションでもよくあるパターンだな。たぶん声がでかくて、中学生にしては小柄で小学生の役もやれそうだったからだと思う。夜行列車に乗って、2か月半ぐらい全国あちこちを回ったよ。

毒蝮三太夫さん直筆のハガキ

ロケで地方に行くときは必ず家にハガキを出していた毒蝮さん。届いたハガキは今でもきちんと保管されている

 もしそのとき、おやじが「そんなの行かなくていい」って言ったら、俺は役者にはなってない。帰って来てから児童劇団に入りたいと言ったときも、「おー、そうか。行ってこい」てな調子だった。大学に行きたいと言ったときも、結婚するときも、おやじが反対めいたことを言ったことはない。その点はおふくろも同じだ。

 昔のことだから「大工のせがれなんだから大工になれ」とか「ウチは大学なんて行く身分じゃない」って言う親も多かったと思う。巡業の仲間には、親の反対で劇団に行かせてもらえなかったヤツもいる。自分自身が自由に生きて、世間がどう見るかなんて気にしていなかったおやじだから、子どもにも好きにさせてくれたのかもしれない。俺のことを信用してくれてたのかな。

 本を書くために思い出してつくづく思ったけど、おやじもおふくろも俺も、それぞれ好きなことをやってきた。バラバラだったけど、でも家族としてまとまってたんだよな。それがウチの家族の形だったんだと思う。家族の数だけ家族の形がある。父親にしたって母親にしたって、「これが普通」とか「こういうのが理想」なんてない。いいところもあれば、ロクでもないところもある。その比率は人によって違うかもしれないけどな。

父と縁側で並ぶ幼少期の毒蝮三太夫さん

口は悪かったが、息子のすることはいつも反対せず見守っていた父。新著は幼い頃からの暮らしを仔細に振り返りつつ、両親への感謝の念を込めて綴ったという

 ないものねだりをしたところでキリがないし、ロクでもない部分に文句を言ってても疲れるだけだ。なるべくいいところを見てあげて、ありのままを面白がってしまえばいいんじゃないかな。それもまた親孝行だよ。

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毒蝮三太夫(どくまむし・さんだゆう)

1936年東京生まれ(品川生まれ浅草育ち)。俳優・タレント。聖徳大学客員教授。日大芸術学部映画学科卒。「ウルトラマン」「ウルトラセブン」の隊員役など、本名の「石井伊吉」で俳優としてテレビや映画で活躍。「笑点」で座布団運びをしていた1968年に、司会の立川談志の助言で現在の芸名に改名した。1969年10月からパーソナリティを務めているTBSラジオの「ミュージックプレゼント」は、現在『土曜ワイドラジオTOKYO ナイツのちゃきちゃき大放送』内で毎月最終土曜日の10時台に放送中。84歳の現在も、ラジオ、テレビ、講演、大学での講義など精力的に活躍中。最新刊『たぬきババアとゴリおやじ 俺とおやじとおふくろの昭和物語』(学研プラス)は幅広い年代に大好評!

取材・文/石原壮一郎(いしはら・そういちろう)

1963年三重県生まれ。コラムニスト。「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。この連載では蝮さんの言葉を通じて、高齢者に対する大人力とは何かを探求している。

●毒蝮三太夫インタビュー|「この歳になって親の人生から教わること」

●「親が認知症になったら…」毒蝮三太夫がズバリ!アドバイス

●毒蝮三太夫の親孝行「好きな人ができたオヤジに俺がしたこと」

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