コメント日|2019.12.13
読むといつも心が暖まります。 最近 一人暮らしの祖母が認知症になり、母と毎日通って 3人で散歩したりご飯を食べ…
猫が母になつきません 第177話 「とりのこされる」
才能溢れる文化人、著名人を次々と起用し、ジャーナリズム界に旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』。この雑誌の編集長を、創刊から30年にわたり務めた矢崎泰久氏は、雑誌のみならず、映画、テレビ、ラジオのプロデューサーとしても手腕を発揮、世に問題を提起し続ける伝説の人でもある。
齢、85。歳を重ねてなお、そのスピリッツは健在で執筆、講演など精力的に活動し続けている。自ら望んで始めた一人で暮らす、そのライフスタイル、人生観などを矢崎氏に寄稿していただき、シリーズ連載でお伝えする。
今回のテーマは、「ラブレター」。数十年前に書いたラブレターを持って、矢崎氏の前に突如現れた女性。さて、そのワケとは…
悠々自適独居生活の極意ここにあり。
伝説の辣腕編集長は恋多き男!?
* * *
最近の若い人は、あまり手紙を書かないらしい。メールの方が手っ取り早いのだろう。
私の通信手段は、短い要件はハガキ、長いのは手紙と、今もあまり変わらない。
つい10年くらい前までは、ラブレターをせっせと書いていた。女性を口説くには、まず手紙を書き、届いたであろう数日後にお目にかかる。これが効果的だと信じて疑わなかった。ま、単純そのものだ。
ところがである。40数年前の恋人から、私のガラケー(携帯電話)に突然Eメールが入って、
「お返ししたいものがあるので会いたい」と、伝えてきた。
驚いて、「お目にかかるのはいいですが、何かお預けしていましたか」と、返信。
「ラブレターです」と、再度メールがあって、危うく椅子から転げ落ちそうになった。
名前を聞いても、暫くは思い出せなかったが、あまりにも間隔があき過ぎている。いろいろな疑念が瞬時に浮かんだが、次第に怖ろしくなってきた。
郵送して下さいと頼むのも失礼だし、返して欲しいと少しも思っていない。実に厄介な話が舞い込んだのだと、気味が悪くなる。
先方の理由は、ひたすら「返したい」であった。
で、数日して会った。私もそれほど暇ではないので、仕事場の近くまで来て貰った。
約束した場所(喫茶店)で落ち合ったのだが、私には見覚えのない老女だった。名前には覚えがあったのだが、顔と名前が全く一致しない。困った。恐らく怪訝(けげん)そうにしている私に気付いたのだろう、
「わたくしをお忘れですのね」と、おっしゃる。
「すみません、年を取り過ぎて…」と私。
「ですから、お返しした方が良いと決心したのです。」
つまり、間もなく矢崎クンは死ぬであろうから、ラブレターを返しておこうというわけか。
40年前となると、私は45歳。若気の至りなんて弁解が通用しない中年男(ミドル・エイジ)だ。それが、何と3通もあった。ジワーッと汗が出てきた。
「どうぞお読み下さい」と、運ばれて来たコーヒーを啜(すす)りながら老女は言う。
表書きは私の筆跡に間違いないが、読まなくてもわかる気がするし、読む気もしない。
「あなたに差し上げたものですから、破るなり捨てるなり、ご自由にして下さい」と、言う。
すると老女は涙を流し始めた。私はすっかり狼狽(うろたえ)て、
「記憶が衰えてしまって、ごめんなさい。どうしても、思い出せないのです」と、懸命に詫びた。
「わたくしは大切にしていたのに…」
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ラブレターですもの。
女性をときめかせ、喜ばせたのでしょう。
40年間も、大事になさったもの。
目の前で泣かれたり、処分してくれと言われるのは困りますが
素敵なお手紙だったのでしょう。
ラブレター、ね。 実に、前世紀のものらしく思われ、懐かしい。
ですが、自分では、真剣に書いたことが無いので分かりません。 対人間では、と限定します。 と言いますのも、猫に対しては、ただ一度ですがあるのです。
それは、我が家の長男猫と今生の別れをした一昨年のことでした。 悲嘆にくれる日々が続き、これはいわゆるペットロスと言うものではないか、と思い悩み、あるNPOのホームページを閲覧した挙句、愛猫への手紙を書いてNPO宛に送れば良い、と思い当たり、長々と書いたのでした。
書いた揚句、当該NPOには送らずに、或る週刊誌で猫の特集号を編集するとの広告を読み、その週刊誌宛に原稿を送りました処、何かの間違いか採用されたと連絡がありました。
私の原稿は、字数制限を超えていたので編集部に依り添削されましたので、聊か不満が残るものの、昨年末に掲載されました。
原稿では、表題に「空に昇った「とら」へのラブレター」と記しましたので、字義どおりに、亡くなった愛猫へのラブレターでありました。
ペットとは思えない存在になった愛猫への思いのたけを記したものであり、飼い主の自分しか理解出来得ない内容でした。 現実には、受け取ることも無い、仮に受け取っても理解が叶わないものであっても、ラブレターであるのには間違いが無いものでした。
生れてはじめて、真剣に字義を考究し、自分の愛猫に対する愛を記したものでありました。
人間の女性には、これ程までに思いつめた愛を告げたことは無かったのでした。
我が家の愛猫を知らない人にとっては只のペット自慢でしょうが、私の周辺の数人の人にとっては涙腺を刺激するもののようです。