2018.06.29 |暮らし   

85才、一人暮らし。ああ、快適なり【第22回 泰久塾縁起】

 1965年に創刊し、才能溢れる文化人、著名人などが執筆して、ジャーナリズム界に旋風を巻き起こした雑誌『話の特集』。この雑誌の編集長を30年にわたり務めたのが矢崎泰久氏。彼は、テレビやラジオでもプロデューサーとしても手腕を発揮し、常に世に問題を提起してきた伝説の人でもある。

 齢、85。歳を重ねてなお、執筆、講演活動を精力的に続けているが、ここ数年は、自ら望み、妻、子供との同居をやめ、一人で暮らすことを選んだ。

 オシャレに気を配り、自分らしさを守る、そのライフスタイル、人生観などを連載で矢崎氏に寄稿してもらう。

 今回のテーマは「塾」。講演活動とは別に、長年定期的に開催し、講師を続けているというが、その成り立ちや想いとは?

 悠々自適独居生活の極意ここにあり。 

大きな会場での講演会以外も、定期開催される塾(学校)で先生としても活躍中

* * *

 幼い頃から、勉強嫌い、学校嫌いでずっと生きてきた。

 ところが、今年で約30年余り、あきれたことに、学校の先生をやっている。

 どうやら制度としての学校、アカデミックで権威のある学校が嫌いなのであって、小さな学校は好きなのかもしれない。そう思い当たった。

 30年程前、青山に「アイム・レディスクール」という、何かしてみたいと思っている若い女性のための学校がオープンした。

 当時、雑誌を編集していた私に、週1回講師をやってくれないかとう依頼があった。

 20代から30代ぐらいの女性ばかりの教室。それだけで魅力的である。しかも講師料を戴いて、好き勝手な話を2時間やるだけというのだから、二つ返事で引き受けた。

 受講生はピチピチした元気な女性ばかり。何をしたいのかサッパリ検討はつかなかったが、OLあり、フリーターあり、主婦あり、学生あり、その他諸々。それだけでも楽しい。

 読書のすすめから始めて、文章を書かせたり、編集者の本業から逸脱しない範囲でいろいろな話をした。そして、3年後に『セカンド・バージン』というタイトルの小説集を作って、『話の特集』から出版した。

 それがソコソコ売れて、講師としては大いに面目を果たした。つまり、実りある結末が得られたのだった。

永六輔氏らと始めた『学校ごっこ』という学校

 ひと区切りついた所で、身の危険を感じて講師は辞めたが、しばらくして、中山千夏さんに誘われて、なんと学校を設立した。

 歴史を教える学校を作ろうという。間違い、インチキだらけの日本の歴史を、少しでも正そうという新鮮な試みだった。

 校長は中山千夏(古代史)、旗手は永六輔(近代史)、矢崎泰久(現代史)、小室等(音楽史)の4人が常勤講師。臨時講師が小沢昭一、井上ひさし、筑紫哲也、灰谷健次郎の4人。

 永六輔の発案で、『学校ごっこ』とうのが校名になった。

 2002年1月から2007年12月までの5年限定。千駄ヶ谷の日本青年館で毎週金曜日の夜に開校する特別教室だった。

 生徒を公募したところ、驚いたことに数百人もの応募が殺到した。永六輔のTBSラジオ番組と新聞3紙に折り込んだチラシで宣伝したので、応募者のほとんどは永クラスの希望者ばかり。(永クラスの)定員200人をアッという間に超えてしまった。

 最終的には、中山クラス70人、矢崎クラス120人、小室クラス50人の計450人が第1期生となった。第5金曜日のある月には、臨時講師が登場するが、各クラス定員100人で締め切った。

 半年を1期とし、10期まで、中山校長はもっぱら自著の『古事記』をテキストにして古代日本の歴史を繙き、その結果、生徒数は次第に減って、最後は30人そこそこにまで落ち込んだ。

 永クラスは、古典芸能から多彩なゲストを招き、もっぱら旅の話から近代より現代を説く。人気クラスなので、5年間満員のままだった。私はジャーナリズムの視点から、日本の文化史を幅広く捉えて、ずっと100人前後の生徒が参加していた。小室クラスは、予告なしだったが、毎回ゲストが登場したにもかかわらず、50人前後に終始したのは今もって謎だが、井上陽水、吉田拓郎などが協力し、主に演奏会が行われた。

教えるという意識ではなく、伝えるという気持ち

『学校ごっこ』以来の付き合いになる生徒が今もいる

『学校ごっこ』は楽しく、為になる学校ではあったけれど、歴史を教えるには5年間では短かかった。

 それでもよく続いたと思うが、終了したにもかかわらず、私には難題が降って沸いた。受講者の内、約60人ぐらいが、私に私塾としての続行を迫ったのである。

 2007年から始まった『泰久(たいきゅう)塾』は、現在は半年に1回になったが、2017年12月まで毎月1回出版クラブ会館で開催されてきた。

「死ぬまで続けろ」と脅迫されて、ついつい長い付き合いになってしまった。生徒は少しずつ欠ける。それなのに「死ぬまでやる」と約束した為に、今も30人が集まり、講義を続けている。

 つまるところ、何と私は、延々センセイをやっているわけ。

 上は同年輩から、下は20代まで。お互いに飽きているかもしれないが、とにかく続いているのである。

 もしかすると、私にとっての生き甲斐なのかもしれないとさえ思うようになった。

『泰久塾』の縁起を記してきたが、これこそが自由な学びのルーツなのだという自覚はある。あなたも参加しますか(笑い)。

 現代を伝えるという気持ちはあっても、教えるという意識はカケラもない。

 私たちは、目に見えない絆によって、ある確認を交わしているのだろう。師弟関係というものは、実(まこと)不思議でならない。

 

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矢崎泰久(やざきやすひさ)

1933年、東京生まれ。フリージャーナリスト。新聞記者を経て『話の特集』を創刊。30年にわたり編集長を務める。テレビ、ラジオの世界でもプロデューサーとしても活躍。永六輔氏、中山千夏らと開講した「学校ごっこ」も話題に。現在も『週刊金曜日』などで雑誌に連載をもつ傍ら、「ジャーナリズムの歴史を考える」をテーマにした『泰久塾』を開き、若手編集者などに教えている。著書に『永六輔の伝言 僕が愛した「芸と反骨」 』『「話の特集」と仲間たち』『口きかん―わが心の菊池寛』『句々快々―「話の特集句会」交遊録』『人生は喜劇だ』『あの人がいた』など。

撮影:小山茜(こやまあかね)

写真家。国内外で幅広く活躍。海外では、『芸術創造賞』『造形芸術文化賞』(いずれもモナコ文化庁授与)など多数の賞を受賞。「常識にとらわれないやり方」をモットーに多岐にわたる撮影活動を行っている。

【このシリーズの記事を読む】

第1回 そもそものはじまり
第2回 老いはするが老人にはならぬ
第3回 自由って何だろう
第4回 おいしい生活
第5回 通院の帰り道
第6回 好色のすすめ
第7回 夢の続き
第8回 耽るということ
第9回 テレビの功罪
第10回 遊び
第11回 ギャンブル好き
第12回 便利は復讐する
第13回 老作家が描くエロスの凄み
第14回 スマホって何だろう
第15回 不倫スキャンダル
第16回 明治維新と向き合う
第17回 無駄遣い
第18回 ラブレター
第19回 老いらくの恋
第20回 料理人(シェフ)はアーチスト
第21回 エロティシズム礼賛

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